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水のない噴水1

2012/11/17 Sat 04:27

水のない噴水1



プロローグ

 何の前触れも無く、いきなりグラグラっと揺れた。
 一瞬言葉を止めた若い裁判官はジロリと天井を睨んだ。横に並ぶ裁判員達も不安そうに天井を見上げている。
 揺れはわずか五秒程度でぴたりと止んだ。法廷はブレーカーが落ちたレストランのように静まり返っていた。
 若い裁判官は天井に向けていた視線を素早く判決文に戻し、再び判決理由の続きを読み始めた。
 その瞬間、再びミシミシミシという気味の悪い音と共に法廷が揺れ始めた。
 判決文を持つ若い裁判官の体が揺れた。傍聴席に座っていた記者達や傍聴者達の体も、まるで電車に乗っているように同じ方向に揺れた。
 しかし若い裁判官は判決理由の朗読を続けた。無感情な目で黙々と判決理由の続きを読み続ける裁判官は、まるで昆虫のようだった。

 平成二十七年夏。
 この日、東京地方裁判所五三一号法廷で、強盗殺人事件の判決が言い渡された。
 世間を騒がせた事件だっただけに傍聴者は列を作り、地裁前には大勢のマスコミが陣取っていた。
 若い裁判官は淡々と判決理由を呼んでいた。
 本来、普通の実刑ならば主文を先に言い渡した後に判決理由を読み上げるのだが、しかし極刑の場合は、被告人の心理状態を考慮し、主文は後回しにされていた。

「被告人は、現時点に至るまで一貫して事件の否認を続けてはいるが、一連の供述内容には、前後矛盾する部分が多々見られるなど、不自然・不合理な弁解というほかはなく、その供述態度は真摯さに欠けるものといわざるを得ない。何ら落ち度のない被害者の命を奪ったという罪質や結果の計り知れない重大性、冷酷非道又は執ようで残忍極まりない殺害の手段方法、遺族らの峻烈な処罰感情、本件各強盗殺人に及んだ経緯や動機の理不尽さをかんがみると被告人の刑事責任は重大であり極刑をもって臨むほかない……」

 三十ページにも及ぶ判決理由を一気に読み終えた若い裁判官は、乾いた喉にゴクリと唾を飲み込むと一呼吸置いた。判決結果は誰もがわかっていたが、しかし法廷は、映画のラストシーンを待ちわびるかのように静まり返っている。
 若い裁判官はゆっくりと顔を上げ被告人を見た。その表情は、昨夜、何度も鏡を見ながら練習していたかのような、そんな作られた表情だった。

「よって被告人を死刑に処する」

 そう告げた瞬間、再び強い揺れが東京地方裁判所を襲った。
 先程の横揺れとは違い、今度はドドドドドっと地響きする縦揺れだった。
 傍聴席からは携帯電話の緊急地震警報が一斉に鳴り出した。その不気味なサイレンの中、傍聴者達はなすすべもなく無言で椅子にしがみついた。
 裁判官も裁判員達も必死な形相で机にしがみついた。検察官は机から崩れ落ちようとする調書を慌てて押え、弁護士はいち早く机の下に潜り込んでいた。
 揺れは次第に大きくなっていった。裁判所の廊下では窓ガラスが割れる音が響き、同時に若い女性の叫び声と、職員らしき男性の避難を呼びかける緊迫した声が響いていた。
 誰もが一刻も早くこの揺れが治まってくれる事を心から願っていた。
 しかし、唯一、死刑を宣告された被告人だけは違った。
 一人冷静に天井を見上げていた被告人は、このまま全てが崩壊してくれればと願っていたのだった。








 彼が涼子に廃墟に行こうと言い出したのは、平成二十四年の夏の日の事だった。
 彼はフリーのカメラマンだった。
 仕事の傍ら、彼は涼子を撮った。涼子を撮る事だけが、彼の唯一の愉しみだった。
 彼は涼子を撮る際、ロケーションには相当なこだわりを持っていた。美しい背景でなければ絶対に涼子を撮影しないのだ。
 特に彼が気に入っていたのは自然だった。空、海、山、森林、滝、高原、小川、といった美しい自然と美しい涼子を共演させるのが、彼のカメラマンとしてのこだわりであり美学であり、そして愉しみだった。
 そんな彼が、突然、廃墟などと言い出した。
 彼は、汚いもの、醜いものを絶対に撮らない潔癖性だった。
 国定天然記念物の鍾乳石を見に行った時も、ライトアップされた鍾乳石を見て「グロテスクだ」とカメラを避けた。
 奄美大島に行った時もそうだった。せっかくカヤックを借りてマングローブの原生林まで行ったというのに、「猟奇的だ」と言ってカメラを向けようとしなかった。
 そんな彼が、突然、廃墟という言葉を口にした。
 事もあろうに廃墟などというおぞましい場所を自ら指定して来た。
 今までの彼のセンスから考えて、廃墟をロケーションにするなど絶対に有り得ない事なのだ。

 そんな彼の心の変化に、涼子は心当たりがあった。
 それは、今から一週間前の事だった。
 その日、彼と涼子は、いつものように美しい自然を探し求めながら、山中湖方面に撮影デートに出掛けた。
 撮影は順調に進んだ。花、緑、そして美しい湖。彼は、大自然に包まれた涼子の撮影を存分に満喫していた。
 その帰り道、二人は国道413号線沿いにあるラブホテルで休憩をした。
 いつものように涼子が先にシャワーを浴びた。
 撮影する側は肉体的な疲労を伴うが、撮影される側は精神的な疲労を伴う。それを知っていた彼は、撮影時には常に涼子を労り、食事でもカーステの選曲でもラブホのシャワーでさえも涼子を優先していたのだ。
 シャワーを終えた涼子は、軽く髪を乾かし、いつものように全裸にバスローブを羽織って脱衣場を出た。
 しかし、いつもなら全裸で待っているはずの彼が、その日は深刻な表情をしながらベッドに座っていた。
「どうしたの?」と聞きながら涼子がベッドに腰を下ろすと、ふと、正面のソファーに置いてあったPRADAのクラッチバッグの口が微かに開いている事に気付いた。
 彼は「別になんでもない……」と呟きながら立ち上がると、そのまま不機嫌そうに浴室へと向かった。
 浴室からシャワーの音が聞こえるなり、涼子はクラッチバッグを確かめた。明らかに中身が物色された形跡があった。バッグの底でしわくちゃになっていたコンビニの領収書が財布とポーチの間に挟まっている。
 きっと彼は携帯を探していたに違いないと思いながら、涼子はいつも携帯を入れている小ポケットのジッパーを開けた。やはり携帯を見られていた。涼子はいつも着信ランプが見えるようにしてここに携帯を入れていたのに、しかし、今はそれが反対になって押し込まれていたのだ。
 涼子は携帯を開いた。着信履歴と発信履歴には見られて困る番号はなかった。しかし、メールボックスには……。
 お願い、消してますように……。涼子はそう念じながら、受信メールを開いた。お願い、お願い、お願いだから消してますように、と、過去の自分に必死に祈りながらスクロールする。
 彼から送られて来たメール、会社の友達から送られて来たメール、楽天から送られて来たメールに実家の母から送られて来たメール。そんな放置されたままの大量のメールに目を走らせながら、お願い、お願い、お願い、と念じて次々にスクロールして行くと、その中にポツンと一通だけ残っていたアキラのメールが、一瞬にして涼子の脳を凍りつかせた。

『昨夜はあんな時間に急に呼び出したりしてごめんね。やっぱり涼子は最高だ。ありがとう』

 涼子は、凍りついたまま消し忘れていた元彼からのメールを何度も何度も読み直していた。携帯を握る手がおもしろいようにブルブルと震えた。彼はこのメールをどんな気持ちで読んでいたのだろうと思いながら読み返していると、恐ろしくて息が詰まった。
 彼は嫉妬深かった。いつも会社帰りに立ち寄っていた近所のコンビニで、顔見知りの男性店員から「今日は早いんですね」と声を掛けられただけで、金輪際あのコンビニには行くなと言われた。又、デート中に大学時代の男友達とばったり出会い、軽く挨拶を交わしただけで三日間口を聞いてくれなかった事もある。
 特に涼子が昔付き合っていた男達に対しては異常なほどの執着心を見せた。今まで付き合っていた男達の名前を全員言わされ、その男達の職業や性格、そして彼らとどこでデートをして、どんなセックスをしていたのか、まるで刑事の取調べのように追及された。下手に隠し事をしようとすれば変な勘ぐりを始め、「まだその男に未練があるからだろう」などとネチネチと責め立てるのだが、しかし、素直に白状したらしたで、「その男と俺を比べているんだろう」と激高し、散々に罵られた。
 彼がそれらを執拗に聞いて来る時は、決まってセックスの最中だった。いつも終盤に差し掛かると、突然、元彼のうちの一人を記憶の中から引っ張り出し、「俺とどっちが大きい」と、ピストンしている男根のサイズについて聞いて来た。
 そんな時の彼は、涼子と元彼のセックスを黙々と妄想しながら自分の世界に引き蘢っていた。
「そいつにもここをこうされていたのか」とブツブツ呟きながら腰を振り、「こんな風にされて感じていたんだろう」と、涼子の陰核を指で弄りながら肉棒をピストンさせた。
 しかし彼は、自分でそうしておきながらも、それに涼子の身体が反応しようものなら、すかさず凄まじい形相で涼子の顔を睨みつけ、「尻軽」や「牝豚」といった汚い言葉で罵った。
 そして決まって最後は、涼子のうなじに顔を埋めながら、「みんなにこうやって中出しされていたんだろ」と呟き、涼子の穴の中に大量の精液を放出するのだが、しかしそんなセックスをした後は、激しい自己嫌悪に苛まれているのか、どっぷりと凹むのであった。

 そんな彼の複雑な性格を充分にわかっていながらも、涼子はこのメールを消去し忘れた五日前の自分に腹が立って仕方なかった。
 実際、元彼のアキラとは何もなかった。
 あの日、アキラが涼子のマンションに来た時、アキラの婚約者も一緒に付いて来ていた。アキラは結婚するにあたって色々と涼子に相談に乗って欲しいと、婚約者を連れて涼子のマンションにやって来たのだ。
 ただそれだけの事だった。あのメールはその時のお礼だったのだ。
 だから、このメールを彼に見られても何も疾しい事はなかった。
 しかし、彼にそれが通用するわけがなかった。
 例えそれが事実だったとしても、嫉妬深い彼の歪んだ性格はそれを素直に受け取りはしないだろう。またいつものように狂った被害妄想に取り憑かれ、あの手この手で攻めて来るに違いないのだ。

 突然、ラブホの部屋の隅に置かれていたピンボールがポポポポポポンっと鳴った。派手なネオンを点滅させるピンボールにはスパイダーマンのイラストが描かれていた。
 涼子は、彼に本当の事を打ち明けようかどうしようかと迷っていた。しかし、もしかしたら彼はこのメールを見ていない可能性も考えられる。だとするとそれは藪蛇だった。薮を突いて蛇が出てくるどころか、虎や狼や熊が出てくる恐れもある。
 垂れ流しになっていた有線の歌謡曲がぷつりと途切れた。静まり返った田舎のラブホテルは妙に湿っぽく、誰かが悪戯したのか天井の鏡には口紅のようなもので『バカ』と書かれていた。
 シャワーの音が止まると、それまで室内に響いていたボイラーの振動がフェードアウトした。次の曲が流れた。今時のアイドルグループの安っぽいイントロが流れ出し、それがインチキ臭い部屋を更にインチキ臭くさく演出していた。
 脱衣場から彼が出て来た。腰にバスタオルを巻き、タオルで濡れた髪をゴシゴシしながら「暑っ」と呟き、さっそく冷蔵庫を開けながら「クーラーの温度『強』にして」と、背後の涼子に言った。
 いつもと変わりない態度だった。シャワーに入る前のあの不機嫌な態度は嘘のように消え失せている。
 もしかしたらあのメールを見ていないのかも知れない。涼子は乾いた喉の唾を飲み込みながら一粒の可能性を信じ、それを確かめるかのように、彼の湿った背中に向かって「私もビール、貰おうかなぁ……」と、甘えた声で囁いてみた。
 いつもの彼なら「珍しいね」と笑いながらソッと缶ビールを手渡してくれた。が、しかしその時の彼は、無言で缶ビールをベッドに投げた。そして扉を開けたままの冷蔵庫に向きながらクピクピと缶ビールを飲み干し、まるで牛の泣き声のように下品なゲップをグワッと放った。
 そんな彼の荒んだ態度は一粒の可能性を脆くも潰した。その投げ遣りで乱暴な態度は、時折セックスの終盤で見せる、あの憎悪と嫉妬に満ち溢れた彼の時と同じなのだ。
 彼は明らかにあのメールを見たに違いない。そう慌てた涼子は、すぐに事実を説明したほうがいいと思い、缶ビールを開けようとしていた指を止めた。そして「あのね」と言おうとした瞬間、いきなり彼がクルリと涼子に向き、腰に巻いていたバスタオルをパラっと床に落とした。
 黒い肉棒が涼子の目の前で威嚇していた。赤い亀頭は鰓をクワッと開き、縦長に口を開けた尿道からは膿のような汁がテラテラと垂れていた。それはまるで、ひと昔前に流行ったエリマキトカゲのようだった。
「しゃぶれ……」
 彼は短くそう言うなり涼子の髪を掴んだ。ちょっと待って、と言おうとした涼子の唇に亀頭が押し付けられた。亀頭は唇と前歯を強行に押し開き、問答無用で口を塞いだ。

 彼は涼子を冷たい目で見下ろした。そして「おまえは男なら誰でもいいのかよ……」と小さく呟くと、その嫉妬に駆られた肉棒を涼子の口内に荒々しく上下させた。
 彼は完全に被害妄想に脳を犯されていた。こうなると、もはや彼に何を言っても無駄だった。彼がその歪んだ欲望を放出するまでは、精神をズタズタに切り裂かれるような侮辱と羞恥にひたすら耐え忍ぶしか方法がない事を涼子は知っていた。だから涼子は言い訳せぬまま、黙って彼の侮辱的な言葉を聞いていた。
 彼は涼子の口内からいきなり肉棒を引き抜くと、涼子を乱暴に突き離し、押さえ付けるようにしてベッドの上に俯せに寝かせた。
 いきなりニヤニヤと笑い出した彼はクローゼットの中から浴衣の帯びを取り出し、まるで荷造りするかのように涼子の両手両脚を乱暴に縛り上げた。髪を拭いていた湿ったタオルで涼子を目隠しし、尻肉を乱暴に押し広げ、肛門や膣を滅茶苦茶に舐めまくった。
 やめてとは言えなかった。やめてと言えば余計エスカレートする事を涼子は知っている。
 彼は、涼子の背中に侮辱的な言葉を吐きかけながら、唾液でネトネトになった谷間に肉棒を押し込んだ。パンパンに腫れた亀頭で花弁をこじ開け、乾いた穴の中に強引に挿入した。
 涼子の頭の中でメリメリメリっと肉が裂けるような音が浮かび、同時に腰から脳に掛けて激痛が走った。おもわず「うっ」と唸りながら顔を顰めると、彼は涼子の耳元に「感じるだろ」と笑い、激しく腰を振ったのだった。
 今まで、嫉妬に狂った彼が、『言葉責め』によって涼子の精神をズタズタに傷つける事は日常茶飯事だったが、直接涼子の肉体に制裁を加えるといった事は一度もなかった。
 しかしその日、涼子は生まれて初めて彼から陵辱を受けた。濡れていない膣に無理矢理ペニスを入れられたのは、高校生の時に付き合っていた先輩の部屋で処女を失った時以来だった。
 彼は、激痛に悶える涼子を複雑な表情で見下ろしながら、「目隠しされてると、誰とヤってるのかわからなくなるだろ」と囁いた。それはまるで涼子が浮気をしていると決めつけているような口ぶりだった。
 その日彼は嫉妬に狂いまくった。元彼からのメールについて一言も問い質さないまま、ひたすら脳内で被害妄想を繰り広げては嫉妬に狂いまくった。そして、屈辱に身悶える涼子の膣の中に、大量の精液を三度も吐き出したのだった。

 その後も彼は、元彼からのメールについては何も聞いて来なかった。帰りの車内には気まずい空気が貪よりと漂い、会話も必要最低限の言葉を交わすだけになっていた。
 真っ暗な国道。時折擦れ違う大型トラックの排気音。そんな寒々とした車内で、涼子は、彼が正直に、「おまえの携帯を見たらアキラという男からメールが来ていたが、あれはなんだ」と聞いてくれれば、どれだけ楽だろうと思っていた。そうすれば、そのメールの事情を説明できるのだ。
 しかし彼は何も聞いて来ない。不機嫌そうに眉間に皺を寄せながら黙ってハンドルを握っている。
 涼子はそんな彼を横目で見ながら、いっその事、自分からアキラのメールについて話そうかと何度も考えたが、しかし、それはあまりにも危険だと、出かかった言葉を何度も飲み込んだ。彼の性格から考えて、彼がそれを素直に受け取るとは思えなかった。逆に醜い猜疑心を募らせ、更に泥沼化していく可能性は大いにあるからだ。
 だから涼子は黙っていた。今の涼子には、黙ったまま、ほとぼりが冷めるのをジッと待つしかなかったのだった。

 それから二日間、彼から連絡はなかった。いつもなら一日一回は必ず電話をくれたのに、この二日間、電話もメールも何もなかった。
 三日目、涼子の方から電話を掛けてみようと思っていると、その晩、彼から電話が掛かって来た。
 電話に出るなり、彼は意味もなくへらへらと笑った。
 久しぶりの電話で照れているのだろうかと思ったが、しかしどうやら彼は酒を飲んでいるようだった。
「このまえ話した次の撮影場所の事なんだけどさぁ、箱根にあるレンガ作りの豪華な巨大別荘だぜ……ふふふふふ……楽しみにしててよねぇ〜」
 彼はロレツの曲らない声でそう笑った。そして、一緒に飲んでいる誰かに向かって「うっせえんだよおめぇら」と怒鳴りながら、そのままプツッと切ってしまった。
 涼子は、彼のそのテンションの高さに嫌な予感を感じた。楽しみにしててよね、と笑った時の彼の表情がリアルに想像できた。
 それは、三日前のラブホテルで、いきなり浴衣の帯びを取り出した時に見せたあの下品な笑顔と同じだった。

(つづく)


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