妻の本能2
2012/11/17 Sat 04:25
「その英会話の先生って、明日の何時頃に来てくれるのかしら」
寝室の鏡台に座る由貴は、櫛でせっせと髪を梳かしながらそう呟いた。
「お昼だって言ってたよ……」
私は、鏡台の椅子の上でくにゃっと押し潰されている由貴の大きな尻を横目で見ながらそう答えた。
「どんな先生が来るのかしら……優しい人だったらいいのになぁ……」
由貴はそう呟きながら鏡越しに私を見つめた。そして、優しい笑顔を浮かべながら、「ありがと」と口パクで言い、嬉しそうに微笑んだのだった。
由貴が英会話を習いたいと言い出したのは、長男の陽介が小学校に通うようになってからの事だった。
「最近は一年生から英語を教えるんだって。だから私も基本的な英語くらいはできるようになりたいわ……だって、陽介に英語の宿題を教えてって言われて、もし全然英語ができなかったら、親として恥ずかしいでしょ?……」
由貴は、私の顔色をソッと伺いながら同調を求めてきた。
それに私が「まぁ、そうだね……」と頷くと、由貴は大きな目をキラリと輝かせながら、「じゃあ駅前の英会話の塾に通ってもいい?」と、まるで子供が玩具をねだるように聞いてきた。
そんな由貴を、私は、抱きしめてやりたいくらいに可愛く思った。
私はコーヒーを啜りながら、「いいよ」と頷いてやったのだった。
しかし、結局、由貴は駅前の英会話塾には行かなかった。入会金や毎月の月謝が恐ろしく高額だったらしく、断念したのだ。
そんな経過があったせいか、私が吉村の話しを由貴に持ちかけた時、由貴は二つ返事で喰い付いて来た。
私は由貴を騙した。会社の取引先の知り合いに元英会話の先生をしていた人がいて、その人が無料で英会話を教えてくれるらしい、と。
由貴は、そんな私のデタラメに大喜びしながらも、「本当にお金を払わなくてもいいの?」と、恐る恐る首を傾げた。
「うん。その人はね、キリスト教の宣教師もやってるんだってさ。だから、月に一度、教会に顔を出してくれるのなら無料でもいいって言ってんだって。要するに、英会話を無料で教えてあげる代わりに教会に来てくれっていう、一種の宗教活動みたいなもんだよ」
私がそう説明すると、由貴は「行く行く。月に一回教会に行くだけで英会話を教えて貰えるんだったら、私、喜んでキリスト様に身を捧げるわ」と戯けて見せた。
もちろん、その英会話の家庭教師は、英検一級の吉村だった。
そんな経過から、吉村は由貴に怪しまれる事無く接触する事ができた。あとは吉村が、いかに由貴を口説き落とせるかが問題だった。
しかし、吉村は関西人だけあって口がうまい。頭の回転も速く、会話もおもしろく、そしてお世辞も上手い。だから恐らく、成功するだろう。
初日は、半分が雑談で、残り半分は由貴の英語力をチェックする為のペーパーテストだった。
由貴は「中学生レベルの英語なのに全然できなかった……」と凹んでいたが、しかし、吉村に対しては「とってもおもしろい先生よ」と、なかなかの好感度を持っていた。
吉村もそうだった。「英語は……まぁ、いいとしまして……」と、由貴の英語力に対しては言葉を濁しながらも、由貴個人に対しては「顔もスタイルも性格も文句なし」と、全てを褒め讃えていた。
こうして吉村は、由貴の専属家庭教師として、週に三、四回、足繁く我が家に通っていた。
その間、私は会社にいた。吉村が自宅にいる間の私というと、まるで精神異常者のように会社中を歩き回り、もしかしたら今頃私のベッドを使っているのではないか、もしかしたらキッチンの床で全裸で絡み合っているのではないか、などと、妄想と欲情と嫉妬を交互に繰り返しては、会社のトイレや屋上でオナニーに狂っていた。
しかし、そう悶えながらも、心の奥底では由貴を信じていた。
あれだけセックスを毛嫌いしていた由貴が、吉村ごときのおっさんに体を許すはずがなく、しかも、家には子供がいる。子供の前で浮気する程、由貴は狂ってはいないのだ。
密かにそう思っていた私は、吉村に妻を寝取って欲しいと思う一方で、吉村なんかに妻を寝取られてたまるかという、なんとも複雑な精神状態だった。
吉村が由貴の家庭教師になって一ヶ月が経とうとしていたある日、私はいつもの居酒屋で吉村と飲んでいた。
「それで、例の作戦はうまく行きそうなんですか?」
私は席に付くなり、おしぼりの袋をピリっと破りながらそう聞いた。
吉村は、関西人特有のやり方でおしぼりの袋をパン! と開けると、慣れた手つきで、顔、耳の裏、そして脇の下をおしぼりで素早く拭きながら、高慢な笑みを私に浮かべた。
「旦那さんを目の前にしてこう言うのもなんですけどね、奥さん、かなり溜ってますね……」
吉村はその笑みを浮かべたままカウンターに振り向き、大きな魚を捌いていた親父に「取りあえず生ビール二つ先に持って来て!」と叫んだ。
「溜ってるって……何がです?」
私は、おしぼりの手を止め聞いた。
「アレに決まってるじゃないですか……性欲ですよ、性欲」
「……って事は……」
「いえいえ、まだヤってはいませんよ。約束ですからね、ヤる前には必ず木原さんに連絡するって」
吉村はそう笑いながらスーツの内ポケットの中から携帯電話を取り出し、それを操作しながら話しを続けた。
「ただ、チンポはしゃぶらせました。いきなりそんな空気になっちゃったものですから連絡はできませんでしたけど、でも、写真だけはなんとかこっそり撮ってきました」
吉村はそう言いながら私に携帯画面をソッと向けたのだった。
白衣を着た親父が、下駄を鳴らしながらやって来た。ブルブルと手を震わせながら携帯を見つめていた私の前に、生クリームのような真っ白な泡が浮かぶビールジョッキがドスンっと置かれた。
その写真は、机の下から隠し撮りされたものだった。
二人は並んで椅子に座っていた。由貴は吉村の太ももに体を屈ませ、そこに突き出すドス黒い肉棒をすっぽりと銜えていた。
私は愕然と携帯画面を見つめながら、喉をクピクピと鳴らしてビールを飲んでいる吉村に聞いた。
「こ、これは……どんな経過でこうなったんですか……」
「簡単にいえば成り行きですね。奥さんに旦那さんとのセックスの話しを振ってみたんですよ。そしたら奥さん、結構ノリノリであなたとのセックスの話しをし始めましてね、それで、まぁ、自然にそんな空気になっちゃって、私は単身赴任だからこんなに溜ってるんですって勃起したチンポ見せたら、奥さんがいきなり口で抜いてくれたってわけですよ。あの凄まじい舐め方は、相当溜ってるって感じでしたよ」
そこまで話して再びビールジョッキを手にした吉村に、すかさず私は「何と言っていましたか」と聞いた。
吉村は、ジョッキを口元で止めたまま「何がですか?」と首を傾げ、素早くゴクッと一口飲んだ。
「だから、その、私とのセックスについて、妻は何と言っていました……」
吉村は、「ああ」と頷きながら立て続けに二口飲み、ゆっくりとジョッキをテーブルの上に置きながら静かに言った。
「正直に言いますけど……木原さんとのセックスでは濡れないって言ってました……」
吉村は、気まずそうにそう呟くと、慌てて私の手から携帯電話を奪い取った。
私は携帯の代わりにおしぼりを握り締めた。
確かに、月に二回程度しかやらないセックスでは、私は由貴に何もしていなかった。由貴を感じさせる事もせず、由貴をイカせる事など全く考えず、ただひたすら暗闇の中で人形のような由貴の体にコキコキと腰を振り、自分だけさっさとイってしまい、それで終わってしまっていた。
そんな昆虫のようなセックスだったが、しかし、それは私の本意ではない。私は、本当はもっともっと由貴に色々な変態行為をしたかった。彼女が望むのなら、朝になるまでアソコを舐め続けてもいいと思っていたほどだった。
それを私は、何度も由貴に訴えた。公園でヤろうとか、SMをしてみようとか、あらゆる刺激的な行為を何度も誘ってみたが、しかし由貴はそれを悉く拒否し、ただただ人形のように寝転がっているだけだった。
私が勧める刺激的なセックスを、自らの意思で断っておきながら、私とのセックスでは濡れないという事はいったいどう言う事か。
その答えは私が一番良く知っていた。そう、既に由貴は、私を一人の男として見ていなかったのだ。
黙ったままおしぼりを握り締めている私に、吉村は「すんません……気に触りましたか?」と申し訳なさそうに呟いた。
「えっ? あぁ、いえいえ、とんでもございませんよ、あまりにも突然だったので、ちょっと動揺しちゃっただけです。いや、吉村さんには感服しております、よくぞあの妻にここまでさせましたね」
私は、内心、崩れ落ちそうだったが、それでも顔を引き攣らせながら必死に強がった。
しかし関西人の吉村は、そんな私の心の内には全く気付いていなかった。
吉村はすかさずビールジョッキを手にしながら、「いゃあ、そうですか、旦那さんにそう言ってもらえると、今後、やりやすいですわ」と、馬鹿みたいに豪快に笑いだし、残っていたビールを一気に飲み干したのだった。
泡だけが残ったジョッキをカウンターの親父に示した吉村は、「おかわり頂戴!」と叫びつつも、ゆっくりと私に体を向け、そして、何やら大きなプロジェクトを抱える商社マンのような表情で私を見つめながら、「それで、今後の事なんですが……」と話し始めた。
「来週の火曜日なんですけどね、木原さんに出張に行ってもらいたいんですよ……」
「出張?」と私は首を傾げながら、「どこに行くんですか?」と目を丸めた。
「いや、実際には行かなくても結構ですよ。奥さんにね、来週の火曜日に泊まりがけで出張に行くって嘘をついてもらえばそれでいいんです」
そう言いながら、吉村は親父が持って来たジョッキを無言で受け取ると、私の目をジッと見つめたまま、ジョッキの上に溜っている泡をブブブブっと啜った。
「奥さんとの交渉は既に成立しております。いえね、英会話を早く覚えたいのなら外人と会話するのが一番効果的ですよ、ってね、話を持ち掛けてみたんですよ。そして、よろしければ私の地元の京都に行って、外国人観光客に色々話し掛けてみましょうか、って誘ってみました。そしたら奥さん、京都には修学旅行以来行ってないなんて目を輝かせましてね、是非とも連れてって欲しいって事になったんですよね……」
私は、この無神経な関西人にいよいよ怒りを感じ始めていた。確かに、この話しを持ちかけたのは私ではあるが、しかし、この男はあまりにも無神経過ぎる。そんな話しを聞かされる旦那の気持ちと言うものを全く考えていないのだ。
しかし、かといって、私に隠れて裏でコソコソやられるのは、もっと辛い。だから、本当はこの無神経で正直な関西人に寝取られるのが最も適しているのであろうが、しかし、そうとわかっていても、彼の言葉はあまりにも私の心を傷つけていたのだった。
自宅に帰るなり、さっそく由貴に「来週の火曜日は秋田に出張だから」と伝えてやった。
由貴は私のスーツをクローゼットにしまいながら「泊まりですか?」と聞いてきた。
「泊まってもらわなきゃ困るんだろ」と、何度も口に出かかったが、私はグッとそれを堪え、無言でコクンっと頷いたのだった。
その三日後、由貴は私に嘘をついた。伯父さんが一年近く入院したままだから、私が出張に行っている間、千葉の実家に帰って伯父さんのお見舞いに行きたいなどと出鱈目を言った。
事前に吉村から聞いていた話では、その出鱈目は由貴が自ら作ったものらしい。私が、数ヶ月前、その入院しているとされる伯父さんと東京駅の八重洲口で偶然出会っていた事も知らず、由貴は自分で作ったその出鱈目話しに得意気になりながら、「完璧だよ」と笑っていたらしい。
そんな吉村と由貴の計画は、最初に千葉の実家に立ち寄り、そこに子供達を預け、そのまま飛行機で関空まで飛ぼうというものだった。
当日の火曜日、
吉村は、「凄い写真を送りますから楽しみにしてて下さいね」と意気揚々としたメールを私に送りつけて来た。
由貴は、「伯父さん、悪い病気でなければいいんだけどね……」と、汐らしい演技をしながら、子供と共に家を出て行った。
そして私は……
そして私は……
電気を消したままの薄暗いリビングで、一人ソファーにぐったりと項垂れながら携帯電話を握り締めていた。そんな私のペニスはずっと勃起したままだった。
(3話に続く)
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