ストーカー男の幸福2
2012/11/17 Sat 04:25
猥雑な看板が並ぶ細い路地をいくつも通り抜けて行くと、質屋とファッションヘルスの間の路地で中年の酔っぱらいがゲロを吐いていた。路上に撒き散らされたゲロの中に赤いウィンナーの切れ端を見つけ、きっと彼の昼食はコンビニ弁当だったんだな、と思うと急に悲しくなって来た。
しばらく行くと大通りに出た。
通り沿いのレンタルルームの前では、十代と思われるミニスカートの少女と三十代のサラリーマンが口論していた。
「だせぇチンポぶらさげてカッコつけてんじゃねぇよ糞じじい!」
そう悪態をつく少女は五千円札を握り締め、散々罵られながらオロオロしている親父はポカリスエットのペットボトルを握り締めていた。
彼らが口論しているレンタルルームの店先では、『店内でのワイセツ行為は即刻警察に通報します』と書かれた張り紙が生温い都会の夜風に煽られながらヒラヒラと靡いており、僕はまたしても悲しくなった。
『世界の山ちゃん』の不気味な看板が見えて来ると、急に息苦しくなってきた。心臓が煽られ、額に汗が滲み、まるで小学校のマラソン大会の時のように逃げ出したくなった。
しかし僕は、そんな看板を横目に、奥さんの待つ雑居ビルを目指して進んだ。
今日こそは、奥さんのあの美乳を揉みまくってやるんだと、鼻の下に垂れて来た汗をペロリと舐めながら勇ましく進んだのだった。
三人用のエレベーターに乗り込むと、息苦しさは最高潮に達した。
いったい僕は、奥さんとどんな会話をすればいいんだ、と思うと、嬉しい半面、強烈な緊張感が僕の小心を揺るがした。
エレベーターは、ガタンっと大きく揺れながら停止し、ぎこちなく扉を開いた。
エレベーターの真正面に蝶ネクタイをしたコケシのような男がポツンと立っていた。僕を見るなり「いらっしゃいませ」と小さくお辞儀をしたが、しかし、そんな言葉と仕草とは裏腹に、男のその目はなぜか妙に不機嫌そうだった。
そこは、四階のワンホール全てが『マッサージ倶楽部』のようだった。
一見普通の雑居ビルの中に、まさかこんなに大掛かりなマッサージ店があるなんて信じられなかった。
しかし、入口のカウンターの作りをよく見てみると、それは薄いベニヤ板で仕切られただけの実にお粗末なもので、ふと、子供の頃にスーパーサカエヤの屋上でやっていた『お化け屋敷』を思い出した。
「お客様は初めてですか?」
エレベーターの前で突っ立ったまま、辺りをキョロキョロしてばかりいる僕に、蝶ネクタイの男は不審そうな表情を浮かべながらソッと聞いてきた。
「はい……」
「誰かの御紹介ですか?」
「いえ……」
まるで職務質問するかのように、男は僕の前に立ち塞がった。
僕は焦った。まさか、ここで働いている奥さんのストーカーですなどとは言えない。言ったら最後、恐らく僕はこの男の沖縄人のように毛深い腕に引きずられながら、店から追い出されてしまうに違いない。
男はカウンターに肘を付きながら料金表を指で示した。
■四十分コース・八千円(手コキ)
■六十分コース・一万二千円(生フェラ)
■九十分コース・一万五千円(騎乗位素股)
僕はポケットの中に手を入れると、そこに無造作に押し込んである紙幣を指先で数えた。
一万円札は五枚あった。
この金は、三日三晩、実家に通ってやっと手に入れた金だった。
僕は父に「やっと就職が決まったんです、だからスーツを買うお金を貸して欲しいんです」と必死になってお願いした。
父はそんな僕を家にもあげず、庭で土下座する僕を縁側から見下ろしながら、「邪気めが!」と吐き捨てながら、ペッペッと僕に唾を吐いた。
それを三日間続けた。すると三日目の夜、いきなり父が、庭で土下座する僕に向かって五万円を投げつけた。
「これは手切金だ。もう二度とこの家には近寄るな!」
父はそう怒鳴ると凄まじい勢いでサッシを締めた。
サッシの向こうの居間では、母と姉が一心不乱に『お題目』を唱えていた。
僕はその五万円をポケットに押し込むと、居間のサッシに漬物石ほどの石を投げつけ、「南無妙法蓮華経! 南無妙法蓮華経!」と叫びながら、バリバリに割れたサッシに向かって小便をしてやったのだった。
そうやって苦労して手に入れた五万円の中から二万円を抜き取り、
「九十分コースでお願いします」とカウンターの上に金を置いた。
すると男は、お釣りの二千円を僕に渡しながら、「こちらから女の子をお選び下さい」と、マッサージ嬢の顔写真がズラリと並んだパンフレットをカウンターに広げた。
そこに並ぶ写真は、ほとんど顔が写っていなかった。
黒塗りの目隠しされていたり、顔全体にモザイクが掛けられていたり、酷いものだと首から下しか写っていない写真まであった。
「ウチは、ほぼ100%が素人アルバイトなんです。だから顔出しできないのが非常に残念ですが、でもみんな素敵な女性ばかりですよ。ちなみに、どんなタイプがお好みですか? 熟、ロリ、巨乳、変態、ウチはどんな子でも揃いますよ……」
男は唇の端を微かに歪めながら、パンフレットに見入る僕に囁いた。
変態っという女性がいったい何をしてくれるのか凄く気になったが、しかし僕は既に決めていた。
そう、いくら首から下しか映っていない写真といえど、その写真が奥さんである事くらい、奥さんのストーカーである僕には一目瞭然だったのだった。
ベニヤ板で仕切られた細い通路を進むと、いきなり普通のビルの廊下に出た。
長い廊下に面して、いくつものドアが並び、そのドアには『一号室』や『二号室』といったプレートが掲げられていた。
しかし、僕が案内された部屋には、何故か番号プレートは掲げられていなかった。
それは、まるで団地の玄関のような鉄のドアだった。そのドアをコケシ男がガチャと開けると、中から消毒液のような香りがムワっと溢れて来た。その香りが『イソジン』の香りだと知ると、僕の気持ちは激しく高揚した。
一人ポツンっと部屋に残された僕は、ソワソワしながら部屋の中を見回した。
部屋の作りは、何の変哲もないワンルームマンションだった。
ベッドがポツンと置いてあり、備え付けのクローゼットの中には脱ぎ捨てた衣類が押し込んであった。まるで誰かが住んでいるような生活感が漂っていた。
風俗の個室にありがちな、怪しい照明も、安っぽいニューミュージックの有線も、そして『本番行為禁止』の張り紙も、何もなかった。
しばらくすると、鉄のドアがゴンゴンっとノックされた。
ビクッと驚いた僕は、慌てて座っていたベッドから立ち上がった。
いよいよだ、と思いながらドアを見つめる僕は、既に興奮状態にあった。
ドアがゆっくりと開いた。
ピンクのタンクトップを着た奥さんが、「失礼しまーす」と笑いながら入って来た。
まさしく僕がストーカーをしている奥さんだ。
呆然と立ちすくむ僕を見て驚いた奥さんは、「えっ?」と微笑みながら止まった。
大きな胸がタプンッと揺れた。
すかさず僕の脳裏に、あの、いつもマンションの上から覗き見している、ベビーカーを押す奥さんの姿が甦ったのだった。
ベッドに腰掛けながら手持ち無沙汰に天井を見上げると、天井に張り付いている白くて丸い一般家庭用の照明が『雪見大福』のように見えた。
何をどうしていいのかわからない僕は、そんな雪見大福をジッと見つめながらベッドの横でガサゴソと準備している奥さんの様子を伺っていた。
奥さんは、ホットボックスの中から湯気がもくもくと上がるおしぼりを取り出しながら「全部脱いでて下さいね」と、その陰気な部屋には不釣合いな明るい声で言った。
「あ、はい」
僕は慌てて服を脱ぎ始めた。
全裸になってベッドに寝転がった。
ぼってりと膨らんだメタポ腹も、半立ちの仮性包茎も、奥さんの前に全て曝け出した。
憧れの奥さんに堂々と性器を見られるのは快感だったが、やはり仮性包茎は恥ずかしかった。真性じゃないだけ、まだ威張れたが、しかしそんなのは全然自慢にもならない。
恥ずかしそうにもじもじしている僕の足下に、奥さんは静かに腰掛けた。
そして優しい笑みを浮かべながら「拭きますね……」と呟くと、いきなり僕のペニスを指で摘んだ。
指の冷たい感触がペニスから脳へと伝わり、たちまち僕の体は硬直した。
「緊張してるんですか?」
そう微笑みながら奥さんは素早く皮を剥いた。
数十年間僕を苦しみ続けてきた忌々しい皮。イカ納豆などという悲惨なあだ名を付けられる原因になった悲しい皮。そんな皮を今、夢にまで見た憧れの奥さんに剥かれた。
(あぁぁ、見ないで下さい……恥ずかしいです……)
僕は性的な羞恥心に包まれながら心の中で唸った。
ベロリと捲られた亀頭は火傷で爛れた肌のように真っ赤に輝き、そのわずかなカリ首の裏に白い恥垢をびっしりと付着させていた。
ここに来る前、銭湯に立ち寄るつもりだったが、しかし、どうせ個室に入ればシャワーを浴びるだろうからと思い、銭湯には行かなかった。
まさかこの店にシャワーがないなどとは思ってもいなかった僕は、激しく後悔していた。
しかし奥さんは、そんな汚れたペニスに嫌な顔をひとつも見せず、蒸しタオルで丁寧に拭いてくれた。
前屈みになりながらペニスを拭いていた奥さんのピンクのタンクトップの胸元から、大きな乳がタプタプと揺れているのが見えた。
そんな奥さんの全身からは、まるでベビーパウダーのような優しくも甘い香りが微かに漂っていたのだった。
(3話へつづく)
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