路地裏の妻7
2013/05/30 Thu 18:08
そんなセックスがあってから、夫は口を利いてくれなくなりました。
この一週間、目すら合わせてもらえません。
苦労して手に入れたリュックサックは、お弁当箱と水筒とレジャーシートと一緒に不燃物のゴミ箱に捨てられました。もちろん、ワイシャツもお婆ちゃんの浴衣もバスタオルも、一度も使われないまま可燃物のゴミ箱の中に投げ捨てられていました。
しかしバスクリンだけは別でした。それだけは、何故か未だに浴室の窓の前にポツンと立て掛けてあります。
但し、あの日以来、それは一度も使われていません。
息子が夫と入浴中にバスクリンを入れたがるようですが、しかしその度に夫は機嫌が悪くなり、ある時など、どうしてもバスクリンを入れたいと愚図る息子の頬を本気で叩いていました。
ならば、そんな物をいつまでもそこに置いておかなければいいのです。リュックサックやワイシャツのように捨ててしまえばいいのです。
しかし夫は、それを捨てようとはしませんでした。いくら私がゴミ箱の中に捨てても、翌日にはまた元の場所に置いてありました。
つまりこれは、私に対する戒めなのでした。それをいつまでもそこに置いておく事で私を責め続けているのです。
事実私は、それを目にする度に胸を締め付けられました。お風呂に入る度に、あの時の一瞬の幸せと、その後すぐに訪れた絶望を思い出し、浴槽に踞りながら啜り泣いていました。
しかし、バスクリンを見て思い出されるのはそれだけではありませんでした。
あの時の異様なセックスまでも思い出されるのです。
もちろん、性嫌悪障害の私の脳はそれを拒否しようとしていました。あの快感を記憶から排除しようと、吐き気や頭痛によってそれを阻止していましたが、しかし、いくら脳がそうしようとしていても、あの快楽を知ってしまった体は、もはや言う事を聞いてくれませんでした。
私の体は、あの快感を欲しがっていました。
追い込まれれば追い込まれるほどその性欲は強くなりました。バスクリンを見せつけられ、良心の呵責に苛まれれば苛まれるほど、あの快感に逃げたくなるのです。
それは、いわゆる現実逃避でした。
普通の現実逃避の場合、一般的に酒やドラッグで感覚を麻痺させ、現在置かれているその不安な状況から逃れようとするものですが、しかし私の場合は違っていました。
まず私はドラッグを持っていません。お酒を飲む時間も場所もなければ、感覚を麻痺させるほどのお酒を買うお金もありません。というより、その前に私はお酒が飲めませんし、もちろんドラッグも使用した事がありませんから、その効力もわからないのです。
そんな私でしたから、唯一、現実逃避できるとすれば、それは、あの時、体に教え込まれた性的快感だけなのでした。
失禁と共に全身が蕩けたあの快感は、性に対する私の考えを一変させました。
私が性嫌悪障害になったのは、あの川崎のアパートで受けた性的悪戯がトラウマになっていたからでした。しかし、それはあくまでも性的悪戯を受けただけであり、決してあの男にセックスされたからではありません。
今まで私は、セックスを何も知らずしてセックスを拒否していたのです。
つまり私は、食わず嫌いだったのです。
私は二十七歳にして初めて性欲を覚えました。
今まで私は、自分は性嫌悪障害だという自己暗示をかけていたため、性欲というものを全く感じなかったのです。
恐らく私にも人並みの性欲はあったのです。しかし、川崎での出来事がトラウマとなっていた為、性欲は黙殺されてしまっていたのです。
今の私には、異常な性欲が漲っていました。あの時、嫉妬に狂った夫にストッキングで後手に拘束されながら犯された時から、私の性欲は一触即発の活火山の噴煙のように隆々と涌き上がっていました。
特に、精神状態が不安定になると性欲は激しくなりました。
苦しみ、悲しみ、恐怖。それらを感じると急に現実逃避したくなり、まるで魔物が取り憑いたかのように豹変してしまうのです。
例えば、浴室の窓際に戒めとして置かれたバスクリンです。
あれを見せつけられると、激しい後悔に苛まれ、胸を締め付けられ、悲しみのどん底に陥ります。そして絶望にくれながら啜り泣くのですが、しかし気が付くといつもシャワーを股間に押し付けてしまっているのです。
又、職場でも同じような事がありました。恐怖と同時にいきなり欲情し、トイレに駆け込んでオナニーをしてしまったのです。
それは、お店にかかって来た一本の無言電話が原因でした。
奥さんは、受話器に向かって「もしもし! もしもーし!」と何度も呼びかけていましたが、暫くすると、「なによこれ、何にも喋らないわ……」と、訝しげに旦那さんに首を傾げ電話を切りました。
それを厨房で見ていた私は一瞬にして背筋が凍りました。
あの時の四万円の男が電話を掛けて来たのではないかと思ったのです。
激しい恐怖に襲われました。おもわず大鍋の前で踞ってしまい、あの男がここにやって来たらどうしようと考えながらパニックに陥りました。
煮ていたレンコンをそのままにしてトイレに駆け込みました。
驚いた同僚が「どうしたの?」とトイレのドアの向こうで心配していましたが、しかし私は、それに答える事もできないまま、床に踞ってガクガクと震えていました。
そのうち同僚は、「多分、下痢よ」と誰かに言いながら去っていきました。
静まり返ったトイレに踞る私は、去っていく同僚の足音を聞きながら、しゃがんだスカートの中に手を入れました。
クロッチの隙間から指を忍び込ませ、湿った小陰唇を掻き分けると内部は潤んでいました。既に、あの男からの電話だと思った瞬間から、私の性器は濡れていたのです。
妙に熱を帯びた穴の中にヌルヌルと指を入れて行くと、太ももの内側がゾクゾクと痺れ、半開きの唇から「はぁぁ」と息が漏れました。手首と指を同時に回転させ、くちゅくちゅと音を立てながら穴の中を掻き回しました。
全裸になりました。便座に手を付き、お尻を突き出しました。
恐怖は大津波のように襲い掛かってきました。その大津波の引波と共に激しい快感が襲い掛かりました。そんな波を何度も何度も受けていた私は、立ったままおしっこを漏らし、二回もイってしまったのでした。
このように、不安に陥った時の私の性欲というのは、まるで異常者のように突発的でした。
苦しみ、悲しみ、恐怖、といった不安が異常性欲を誘発し、所構わずオナニーに耽ってしまうのです。
職場では、いつあの四万円の男が尋ねて来るかという恐怖に常に襲われトレイでオナニーばかりしていました。
家に帰っても同じでした。常に夫の冷酷な目に恐怖を覚え、子供の無邪気な笑顔に悲しみを覚え、そして寝たきりのお義母さんのオムツの交換に苦痛を感じながら、現実逃避のオナニーに耽っていました。
そんな私は、もはや正常とはいえませんでした。
見た目は、正常者を取り繕うと必死に誤魔化していましたが、しかし中身はドロドロの黒い渦に巻かれた異常者なのです。
私は、今までセックスには全く興味を示さず、付き合っていた彼に手を握られただけで頭痛と吐き気に襲われていた性嫌悪障害だったのです。それなのに、たった一夜にして変態性欲者へと変わってしまったのです。
あれだけ恐れていた男性器が常に頭に浮かんでいます。男の荒々しい呼吸がいつも耳元で聞こえ、飛び散る精液の温もりがいつまでも指先に残っていました。
セックスがしたい。
滅茶苦茶に犯されたい。
そうは思っていても、しかし夫は、あの日以来、一言も口を利いてくれません。目すら合わせてくれない状態がずっと続いており、そんな夫がセックスなどしてくれるわけがないのです。
しかし、だからといって他の男にという気持ちは全くありませんでした。
同じ職場に、三葉さんと言う四十五才の板前さんがいました。いつもパートの主婦たちに、昨夜の風俗の体験談などを話してはセクハラを繰り返している下衆な男です。
彼なら、すぐにでも私とのセックスに応じてくれるはずでした。
彼は身元もしっかりしていますし、奥さんや子供もいますから危険性はありません。それに、彼がいつも得意げに話している風俗体験談からして、私が求めているような変態セックスをしてくれそうなのです。
だけど私は必死にそれを堪えました。
彼を厨房で見かける度、あの内臓を抉られた魚の残骸が山盛りになったポリバケツの横で、獣のように犯されたいと思う願望は日に日に増すばかりでしたが、しかし、いくら狂っているとはいえ私は妻であり母です。その一線は越えてはいけない事くらいわかっています。
だから私は、彼に犯される妄想を抱きながらトイレでオナニーに耽っていました。彼が切断したサバの頭部を盗み出し、それを陰部に擦り付けながら彼のペニスを想像するといった、そんな変態オナニーで異常な欲望を満たしていたのでした。
そんな悶々とした暗雲が立ち込める毎日でしたが、しかしある日突然、暗雲が音もなく消え去り、明るい陽射しが差し込めて来ました。
それは、あの出来事があってから一ヶ月が過ぎようとしていた頃の事でした。
その日私は、パートに出掛ける直前、いきなり夫に「おい……」と呼び止められました。
夫に話し掛けられたのは、実に一ヶ月ぶりでした。玄関で靴を履いていた私は嬉しくなって「はい」と慌てて振り返りました。
ヨレヨレのパジャマを着た夫が、酷く思い詰めた表情でボーっと立っていました。
夫は未だ仕事が見つからず、この一ヶ月はずっと同じパジャマのまま家に引き蘢っていました。髪もぼさぼさで髭も伸ばしっぱなしで、まるで公園のホームレスのような姿でした。
そんな見窄らしい夫の顔を覗き込みながら、「なんですか?」と私が優しく聞くと、夫は「うん……」と頷きながら、顎にブツブツと広がる無精髭を指でザラザラと撫で始めました。
「あの金は……本当にボーナスだったのか?……」
夫は、下駄箱の上に置いてある、幸せだった頃の家族写真にソッと目を向けながら言いました。
それは、買ったばかりの新築の家の前で、家族三人幸せそうに笑っている写真でした。
私は、そんな写真から慌てて目を反らしながら、「はい……」と深く頷きました。
「本当に……本当に売春なんか……してないんだな……」
途切れ途切れに話す夫に、私はきっぱりと「もちろんです」と答えました。
その瞬間、夫は顔をくしゃくしゃに歪め、「わっ」と声を出して泣き出しました。
「すまん……」
そう廊下に膝を付いて崩れ落ちる夫の体を支え、「もういいんです」と優しく囁きました。夫は「本当にすまん、許してくれ」と泣きじゃくりながら、まるで子供のように私の体にしがみついてきました。
本来、子羊のように気の小さな夫は、この一ヶ月間、ずっと呵責の念に苛まれていたのでしょう。「ごめん」と「すまん」を何度も繰り返しながら、喉を搾るような声で「バスクリンを捨てなくて良かった……」と呟いたのでした。
その言葉により、私の胸の堰が一気に崩れ、涙がドッと溢れてきました。そして私も子供のように泣きじゃくり、夫のヨレヨレのパジャマにしがみつきました。
そもそも悪いのは全て私なのです。謝らなくてはならないのは私のほうなのです。それを思うと、余計悲しみが溢れ涙が止まらなくなりました。
夫は、そんな私の背中を優しく撫でながら、「仕事の前なのに、ごめんよ」と小さく笑い、照れくさそうに鼻を啜りました。
私も、喉をヒクヒクとさせたままコクンと頷き、夫の優しい目を見つめながら恥ずかしそうに微笑みました。
そして、「今夜は、キミと裕太と僕の三人で風呂に入ろう」と、そう泣き笑いしながら、私の頬の涙をカサカサの手で拭ってくれたのでした。
暗黙から差し込める一本の光りが、惨めな夫婦を煌煌と照らしていました。
しかし、そんな幸せな光りも、またすぐに深い暗雲に閉ざされてしまうのです。
夫は、涙を拭きながら玄関を出て行こうとする私を、元気づけるかのように笑顔で見送ってくれました。
そして、路地を歩き出した私の背中に向かって叫んだのです。
「バスクリンをたっぷりと入れた風呂に三人で入ろうな!」
夫は異常なテンションでした。近所中に響き渡るくらいの大声で二度もそう叫び、恥ずかしさのあまり一瞬ヒヤッとしましたが、それでも私は、そんな夫の優しい言葉に胸を締め付けられました。そして、やっぱり私はこの人を愛していると、その時はっきりと確信したのでした。
(つづく)
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