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ミツオと松夫1

2013/05/30 Thu 18:06

ミツオと松夫1



 今年で三十を迎えようとしているミツオは馬鹿だった。
 発達障害があるというのではなく、ただの馬鹿だった。
 小学生の頃は全く勉強をしなかった。実家の田んぼでカエルを捕まえては死刑ごっこばかりして遊んでいた。
 あまりにも勉強しないため五年生までまともに鉛筆が持てず、当然、自分の名前を書く事もできなかった。だから中学校では『あすなろ学級』と呼ばれる特殊学級に入れられてしまったのだが、しかしミツオは、これで心置きなく堂々と遊べると喜び、毎日トランポリンばかり飛んで過ごしていたのだった。
 字すらろくに書けないまま卒業したミツオは、当然高校など行けるはずがなく、そのまま家の農業を手伝い、再びカエルの死刑ごっこにはまっていた。
 そうこうしながら三十を迎えようとしていたミツオだったが、しかし、二九歳の夏にある事件を起こし、ミツオは駐在所に連行されてしまった。
 その事件というのは、農作業中の大森さんちの洗濯機の中から、三十路を過ぎた嫁の下着を盗み出したという、いわゆる下着泥棒だった。

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 たかが下着泥棒でも、この人口六千足らずの小さな村では、されど下着泥棒だった。
 幸い、村の駐在さんから厳重注意を受けただけで、逮捕まではされなかったが、しかし、村は地下鉄サリンに匹敵するほどの大騒ぎとなり、たちまちミツオは麻原の如く扱われるようになってしまった。
 姉や妹たちからは変質者呼ばわりされ、母親からは「頼むから出てっておくれ」と泣きつかれた。挙げ句の果てには、怒り狂った父親から、「そんなに欲しけりゃ好きなだけくれてやる! それ持ってとっとと出てけ!」と、祖母と母の履き古した下着を投げつけられ、慌てたミツオは、ほうぼうの体で村を逃げ出したのだった。

 家を追い出されたミツオは、従兄弟の松夫を頼って隣町に向かった。ミツオよりも十歳年上の松夫は、ミツオの父親の兄の息子だった。昨年父親を喉頭癌で失くし、今は父親の跡を継いでホウレン草畑を守っていた。
 やはり松夫も、ミツオの従兄弟だけあってそれなりに馬鹿だった。四十になっても未だ独り者で、毎晩のように駅裏にあるフィリピンパブに通っては、十八番の『兄弟船』ばかり歌っていた。
 兎角、馬鹿というのは、人に頼られると必要以上に面倒を見たがるものだ。日頃、人に頼られる事などないため、「お願いします」などと人に頭を下げられると、たちまち舞い上がってしまうのである。
 だから松夫も、馬鹿従兄弟のミツオに頼られた事が余程嬉しかったのか、着の身着のままで逃げて来たミツオの為に部屋を借りてくれた。田んぼの真ん中にあるバブル時代に立てられた古いワンルームマンションだったが、しかし、今まで陽の当たらない土蔵の中二階で暮らしていたミツオにとっては夢のような住まいだった。
 取りあえずそこに落ち着いたミツオだったが、しかしこの町も所詮は人口三万人足らずの田舎町であり、ミツオのような流民を雇ってくれるような場所はどこも無かった。
 収入の無いミツオは、松夫の畑仕事を手伝いながら、その賃金を家賃の足しにしてもらっていたが、しかし畑仕事など毎日あるわけでもなく、ミツオはいつもマンションに籠ってばかりいた。

 そんなある日、隣りの二〇五号室に若い女が引っ越して来た。
 東京の大学生だった。『農家に嫁いだ都会の女』を研究するために二ヶ月間だけこの町に住むらしい、と松夫が教えてくれた。
 引っ越ししたその夜、彼女は菓子箱を持ってミツオの部屋に挨拶にやって来た。見るからに都会の女の子といった感じの可愛い子だった。
「加藤と申します、宜しくお願いします」
 そう深々と御辞儀した瞬間、彼女のサラサラの髪から今までに嗅いだ事の無いイイ香りがフワッと漂い、その香りにたちまち暴力的な欲情を覚えてしまったミツオは、実に素っ気なく「ああ、はい、どうも」と、慌ててドアを閉めてしまったのだった。
 が、しかしミツオは、ドアを閉めると同時に悶えた。あの可愛い女の子をあのまま部屋に引きずり込み、素っ裸のまま四つん這いにしたその肛門をチロチロと舐める変態妄想を描くと、勃起したペニスをヒコヒコさせながら床を転がり回り、七転八倒したのだった。

 その日から、ミツオの毎日は多幸感に包まれていた。それは、あの大森さんちの洗濯機の蓋を開け、そこに奥さんの使用済みのパンティーを発見した時と同じ多幸感だった。

(あんな可愛い子が、こんな田舎町で二ヶ月間も我慢できるわけがない……こうしてずっと聞き耳を立てていれば、いつか必ずオナニーするはずだ……いや、もしかしたら男を連れ込むかも知れない。そしてセックスをおっ始めて、その激しい喘ぎ声なんかも聞けるかも知れない……)

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 そう思いながらミツオは、壁に耳を押し当てながら隣りの部屋を観察する日々に明け暮れていた。
 しかし、一度たりとも彼女のオナニーに遭遇した事はなかった。又、セックスの喘ぎ声なども一切聞こえては来なかった。
 夜な夜なフルチンで壁に耳を押し付けている日々が、そろそろ辛くなりかけていた頃、不意に、隣りから電話で話している声が聞こえて来た。

「えー、違いますよー、あはははは、私ってそんな風に見えますぅ?」

 彼女のその弾んだ声からして、相手は男だとミツオは睨んだ。しかもその会話の中に、東円町のローソンやアルパスボウリングといった名前が出て来る事から、地元の男だと確信した。
 ミツオは嫉妬した。東京の彼氏との電話だったら我慢できるが、この糞田舎の馬鹿男とあんなに親しく話している彼女に、何やら今までに無い嫉妬心がメラメラと湧いて来た。が、その一方では、そのままテレホンセックスに突入するかもしれない、などという幼稚な事を本気で期待し、壁に耳を押し付けながらペニスを弄っていたのだが、しかし、そんな電話はものの数分で終わりを告げた。

「わかりました。それじゃあ七時に、駅裏の『でんでん』に行きますので」

 そう言って電話を切った彼女は、機嫌良く鼻歌なんぞを歌いながら、支度らしき物音をたて始めた。
 時刻は六時を過ぎたばかりだった。
『でんでん』というのは、駅裏のTSUTAYAの横にあるチェーン店の居酒屋だった。以前、松夫に誘われて一度だけ飲みに行った事があるが、駐車場に地元のヤンキーが大勢屯していたり、店員もリストカットの傷跡のある金髪女だったりして、非常に不快な店だった。
 あんな野蛮な店に、東京の娘さんが一人で行くのは少々危険過ぎやしないかと余計なお節介を焼いていると、そこにふらりと松夫がやって来た。

 松夫は、パンパンに膨れたコンビニの袋を両手に担ぎ、「やぁやぁやぁやぁごきげんさま」と勝手に部屋に上がり込んで来た。
 袋の中には、大量の缶ビールとスナック菓子が詰まっていた。今夜は飲むべ、と、不摂生で浮腫んだ顔を歪ませながら、松夫はさっそく一本目の缶ビールの蓋をカッ! と開けた。
 ミツオは、今さっき隣りから聞こえて来た電話の話しを松夫にした。
 ナトリの珍味の袋をバリバリと開けながら黙って話しを聞いていた松夫だったが、しかし『でんでん』の店の名を聞いた瞬間、「あぁ、そりゃあ青年団だ」と、何かを悟ったかのように頷いた。
「今日は五日だべ。毎月五日は、青年団が『でんでん』を貸し切って親睦会を開いてんだ」
 松夫はそう言いながら缶ビールをじゅるるるるるるっと啜ると、もう片方の手で鷲掴みにしていた大量の珍味をゴボッと口の中に押し込んだ。
「俺たちも一応青年団だからいつも誘われてんだけどな、毎回断ってんだぁ……だぁってさ、あんな奴らと飲んでもつまんねぇべ……」
 そう珍味をモグモグと咀嚼しながら話す松夫を見て、ミツオは嘘をついていると思った。馬鹿だからきっと誘われていないんだろうと思うと、ふと悲しい気持ちになった。

 松夫の言う「俺たち」というのは、松夫の弟たちの事だった。松夫は三人兄弟の長男だった。次男が竹夫で三男は梅夫。この三兄弟は、『河原町の松竹梅』と呼ばれ、ここいら辺りでは有名な馬鹿兄弟だった。
 次男の竹夫は婦女暴行の常習犯で、今も栃木刑務所に服役していた。三男の梅夫は子供の頃から放浪癖があり、現在は仙台方面でホームレスをしていた。
 因みにこの三兄弟も、中学時代はミツオと同じ『あすなろ学級』だった。

 松夫は、咀嚼しながらビールをクピクピと飲み、大量の珍味をビールで流し込んだ。そして、ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、と妙に長いゲップを吐き出すと、「隣りの女、調子に乗ってると、今に奴らにガバガバにされっぺ」と、いやらしく笑った。その笑顔には、明らかに妬みと僻みが含まれており、ミツオは更に悲しい気持ちになった。

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 そうこうしていると、隣りから女が出て行く物音が聞こえて来た。相当慌てているらしく、階段を下りていく激しい足音がマンション中に響いていた。
 それからの松夫は、延々と青年団の悪口を話していた。まるで呪詛を唱えるかのように「あんな奴ら、さっさと死ねばいいべさ」と繰り返し、次々に缶ビールを空けていった。
 松夫が最後の一本の缶ビールの蓋を開けた頃には、既に十時を過ぎており、そんな陰気な酒盛りも終盤に差し掛かっていた。
「そろそろ行くべかな……」と、松夫が缶ビール片手に立ち上がろうとした瞬間、不意に窓が開いたままのベランダから車の止まる音が聞こえて来た。
「きっとあの女たべ、部屋に男を連れ込む気なんだべさ」
 松夫のその言葉と同時に二人は慌てて窓に駆け寄ると、カーテンで顔を半分隠しながら外を覗いた。
 車はタクシーだった。よく肥えた中年女が、「大丈夫。しっかりして」と言いながら、隣りの女子大生を後部座席から引きずり出していた。
 女はかなり酔っていた。中年女に抱きかかえられながら歩く女の足は死体のようにブラブラし、もはや泥酔状態といえた。
 マンションの玄関に入って行く二人を二階の窓から見下ろしていた松夫が、ぽつりと呟いた。
「青年団の奴ら、あの女を酔わせて手篭めにする気だったんだべ。だけど副団長の鈴木女史がそれを阻止したんだべ……」
 ざまあみろ、と松夫が吐き捨てると同時に、隣りの部屋のドアが開く音が聞こえた。鈴木女史と呼ばれる中年女が、女を抱きかかえたまま部屋の廊下を歩く音が、どたん、どたん、と響くと、さっそく松夫とミツオは壁に移動し、二人してそこに耳を押し付けた。
「よっこいしょ……」
 肥満者特有の籠った声が聞こえて来た。
 鈴木女史はどこかに電話を掛け、開口一番、「あー、今やっと部屋に付いたわ」と力の抜けた声で言った。

「大変だったのよ。この子、幸田のアホたちに乗せられて焼酎を十杯も一気するんだもん、もう、ぐでんぐでんの意識不明ですよ」

 鈴木女史はそう言うと、「ホント、困った女子大生さんですね〜」と呆れたように笑った。
 その笑い声と共に、壁に耳を押し付けていた松夫がミツオをジロッと見つめ、「こいつ、もうすぐ四十になるのにまだ処女らしいべ。家で飼ってる馬のチンポしゃぶってオナッてるっつー噂だべ」と呟き、幼稚な顔をして一人でクックッと笑い出した。
 しかし、そんな松夫の笑い声は、鈴木女史が溜め息混じりに呟いた言葉によってぴたりと止まった。

「とにかく私、もう疲れてヘトヘト。タクシー待たせてるから早く帰りたいんだけど……鍵を開けたまま帰っちゃっても大丈夫よね?」

 鈴木女史は、電話の相手にそう聞きながらも、結局、鍵を開けたままさっさと部屋を出て行ってしまった。
 窓の外からタクシーのドアが閉まる音が聞こえた。タクシーのエンジン音がみるみる遠ざかって行くと、辺りは急にシーンっと静まり返り、部屋の中には松夫の鼻息だけが微かに響いた。
 松夫は、壁に耳を押し付けたままミツオの目をジッと見ていた。ミツオも、身動き一つしないまま松夫の目を見つめていた。
 部屋は静まり返っていた。
 二人は、互いに同じ企みを抱いていながらも、それを言い出せないまま壁に張り付きジッと見つめ合っていた。
 暫くすると、静まり返った部屋に、パッスぅ〜と屁の音が流れた。
 松夫はジッと身動きしないまま「すまん」と呟いた。
 ジワジワと漂って来たその異様なニオイにミツオが露骨に顔を顰めると、松夫は恥ずかしそうに目を泳がせながら、「ミッちゃんの足だって……」と、睨み返して来た。

 二人は、ほぼ同時に壁から顔を離した。
 松夫は、クピクピッと缶ビールを飲むと、それをミツオに突き付け、「全部飲んでもいいよ」と言った。
 ミツオがそれを受け取り、同じようにクピクピっと缶ビールを飲むと、いきなり松夫が「意識不明って言ってたべさ……」と呟いた。
 ミツオは黙ったままコクンッと頷き、空になった缶をフローリング柄のクッションフロアの上にソッと置いた。すると松夫は、続けざまに「鍵、開けたままだって言ってたべ……」と興奮気味に言い、再びパスっと放屁した。
「どうすっぺ……」
 ミツオは、真っ黒な足の指と指との間を人差し指で擦りながら聞いた。
 松夫は、そこからポロポロと溢れ出る消しゴムのカスのような垢をジッと見つめながら、「ちょっとだけ不法侵入してみっぺか?」と不敵に微笑み、何故か指の関節をカキカキと鳴らしたのだった。

(つづく)

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