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汚れし者10



「とにかくあの手の輩と言うのは汚いんですよ。不潔というか不浄というかね、嫌なオーラが全身から滲み出てるんです。きっとああいう人はね、幼い頃から汚い生活をしてきているんです。だから魂までも汚れてしまっているんです」

 そう話している橋本さんの背後のボックスでは、オレンジ色のエプロンをした中年女が、「ご注文を確認させて頂きます。和牛ジューシーハンバーグセットがお一つと、カルフォルニアシーフードピラフがお一つと……」と呟いていました。

 午前十時のファミレス。開店直後の店内には、魑魅魍魎とした人々が、まるで火事の焼け跡に放置された布団のようにブスブスと燻っていました。
 明らかに宗教の勧誘だとわかるグループが窓際のテーブルを陣取り、いかにも馬鹿っぽい一人の主婦を取り囲みながら、まるで土人形のような血の通わない笑顔を浮かべていました。
 その反対側のテーブルには、マルチみえみえのおばさん達がテーブルの上に洗剤らしきものを並べ、OL風の若い女性に必死に洗剤の説明をしていました。
 その奥のテーブルには、何故か若い男に恫喝されている中年男が項垂れ、トイレ前の喫煙席では朝帰りの水商売女がスマホを見ながら煙草を吹かし、そしてその女の隣のボックスでは、小指のないタクシー運転手が、卑猥な記事がでかでかと掲載されたスポーツ新聞を堂々と広げていました。
 そんなワケアリ的な朝のファミレスの空間に、私たち南台すずらん公園ママ友会も混じっていました。水野さんと栗原さんが、例の男を公園から追放する為のミーティングを開くからと、私たちをここに呼び出したのです。
 そんなミーティングには、特別ゲストとして自治会の橋本会長が出席してくれていました。橋本さんは六十三歳という御高齢の女性でしたが、しかし、数年前まで小学校の校長を務め、今でも保護観察員というお仕事をされているせいか、背筋はシャンっと伸び、その口調にも厳しさが漲っていました。

「人を差別するというのは良くない事です。だけど私はこれまでに彼のような人間を沢山見てきました。だからこれは差別ではありません。私の経験上、断言します。彼は人間ではありません。もはや彼は他人に危害を加える害虫です」

 橋本さんがそう言うと、一番前の席に座っていた水野さんと栗原さんが感慨深くコクンと頷きました。それが隣の木島さんに伝染し、その隣の森下さんにも伝染し、コクンと頷くそれは、まるでドミノ倒しのようにして最後尾に座っている私まで伝わって来たのでした。

 私たちのグループは、一台のテーブルでは全員が座れないため、四人掛けのテーブルを三台繋げてもらっていました。テーブルの奥の短辺には橋本さんが一人で座っていました。そこはいわゆる『お誕生日席』と呼ばれる席で、最後の晩餐ではバルトロマイが座っている場所です。橋本さんは、そんな上座から皆の顔を一人一人見つめ、まるでどこかの教祖が愚かな主婦たちに何かを諭すかのように語っていたのでした。

「環境や治安を乱す害虫は早急に駆除しなければなりません。幸いこの町は、貴女方のような若いお母さん達がこうして頑張ってくれていますから、今の所は大きな事故は起きていませんが——」

 水野さんと栗原さんが素早く目配せし、照れくさそうにニヤッと笑いました。

「——しかし、相手は危険な害虫です。いつあの害虫が牙を剥き出して来るかわかりません。ですから犠牲者が出る前に一刻も早く手を打つよう、私の方から警察署長にはよくお願いしておきますので、皆様も決して御無理をなさらぬ程度で、地域の為に頑張って下さい」

 橋本さんがそう言いながら小さく頭を下げると、いきなり水野さんと栗原さんが狂ったように拍手をし始めました。
 それに同調するかのように木島さんが拍手をすると、森下さんと加藤さんが素早く拍手に加わりました。すると皆の顔色を伺っていた真鍋さんも拍手し始め、それに釣られるようにして三塚さんも小さく拍手したため、私も重ねた手の平を微かに動かし、音のない拍手をしたのでした。

 しかし、そんな中、一人だけ拍手しない人がいました。
 それは、私の真正面に座っていた東さんでした。

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 東さんは、相変わらず露出の多い派手な格好をしていました。
 最初、東さんは機嫌良くファミレスに入ってきました。マルチ商法のグループを横目に「あの人達、この間は羽毛布団だったのに今度は洗剤を売ってるわよ」とクスクス笑いながら皆のテーブルにやって来たのですが、しかし、上座に橋本会長が座っているのに気付くと、突然仏頂面となり、それっきり何も喋らなくなってしまったのでした。

 一人だけ拍手しない東さんの席だけが不穏な空気を漂わせていました。
 そんな中、橋本さんが「それでは皆さん頑張って下さいね」と立ち上がりました。
 皆の拍手に送られながら席を立つ橋本さんを、東さんは横目で見ていました。そして橋本さんが店を出て行くのを突き刺すような目で見ながら、小さくポツリと「偽善者め」と呟いたのでした。

 その瞬間、不意に東さんと目が合ってしまいました。私は、見てはいけないものを見てしまったような気がして慌てて目を反らそうとしましたが、しかし、私の目を鋭く射抜く東さんの眼光は、脅える私の視線を逃がしてはくれませんでした。
 東さんは、私の目を見つめたままスーッと表情を和らげると、意味ありげにニヤッと笑いながら「聞こえちゃった」と呟きました。そして、いきなり正面に座る私に身を乗り出すと、コショコショ声で、「私、あいつ大嫌い」と子供のように囁き、真っ赤な口紅が塗りたくられた唇を怪しく歪ませたのでした。

 しばらくすると、橋本さんを駐車場まで見送りに行っていた水野さんと栗原さんが帰ってきました。
 二人は席に着くなり、何やらテーブルの下から大きな紙袋を引きずり出し、それをテーブルの上に置きました。
 水野さんがそこから取り出したのは、何とも趣味の悪いピンクの腕章でした。そしてそれを皆に示しながら「私と栗原さんで徹夜して作りましたぁ〜」と嬉しそうに笑ったのでした。

 その腕章が上座から順番に回ってきました。上座で背伸びをしながら末席を覗く栗原さんが、「人数分あると思いますけど大丈夫ですかぁ」と鼻の下を伸ばしながら言いました。
 最後の私に二枚が届き、その一枚を正面の東さんに無言で差し出すと、私は「大丈夫です」と上座の栗原さんに伝えたのでした。

 それは、明日から交代制で公園の見回りをする為の腕章でした。
 見回りなど警察に任せておきなさいと橋本さんは言ったのですが、それでも鼻息の荒い水野さんと栗原さんは、「自分たちの町は自分たちの手で守ります!」などと張り切り出し、結局、ママ友会で公園の見回りをすると言う事に決まってしまったのでした。

 その腕章は、ペラペラのピンク色の布に、『すずらんママともかい』と白いアイロンワッペンが貼られただけの、実に安っぽいものでした。
 そのガタガタに縫われた下手糞なミシン目を見ながら、ソッと視線を東さんに向けると、東さんはその腕章を見ようともせず、黙ってスマホを見つめていました。

「生地が千円でした。ワッペンは漢字だと高くなるので、一枚五十円のひらがなとカタカナだけにさせてもらいました。あと、安全ピンが十個入り二袋で三百円でしたので、一枚六百円って事で宜しくお願いしまーす」

 水野さんがそう言うと、皆が一斉にざわざわしながら財布を取り出しました。そのざわざわに乗じながら、栗原さんが「因みに、私と水野さんの制作費は社会奉仕となっておりま〜す」と、サザエさんの真似をしながらそう戯けると、小銭をチャラチャラとテーブルの上に並べていたヤンママ達がドッと笑い出し、常にローラの真似ばかりしている中谷さんが、戯ける栗原さんを指差しながら「ウケる〜」と連発しました。

 そんなヤンママのノリについて行けない三十路グループの私は、中谷さんの「ウケる〜」にイライラしながらも六百円をテーブルの上に置きました。
 ふと見ると、東さんのテーブルの前には百円玉が四つしか並んでいませんでした。四百円しか出さないまま、吸い始めたばかりの煙草をそそくさと揉み消していました。
 私は、もしかしたら持ち合わせがないのかと思い、残りの二百円を貸してあげようと再びバッグの中から財布を取り出そうとすると、そこにやって来た集金係の栗原さんに、東さんが言いました。

「私、いらないから」

 東さんはそう言いながらスッと席を立ちました。
 ざわついていたヤンママ達が一斉に静まり返りました。皆さん、凍り付いた表情で東さんを見ております。

「いらないって……どう言う事ですか?」

 恐る恐る栗原さんが聞くと、東さんは椅子に置いていたバッグを手にしながら、「私、社会奉仕とかそーいうの嫌いなの。ごめんなさいね」と、嫌みったらしい笑顔で皆を見回しました。そして絶句している栗原さんを無視して、私の前にその四百円をスッと押し出すと、「これ、私のコーヒー代ね」と言い捨て、そのままスタスタと店を出て行ってしまったのでした。

 大きなショーウィンドウに映る駐車場から東さんの姿が消えるなり、それまで黙っていたヤンママ達が一斉に吠えました。
 協調性がない、和を乱す、社会不適合者だ、などなど、みんな好き放題に東さんの悪口を言い始め、面と向かって否定された栗原さんなどは感情を剥き出しにし、「もし東さんの子供があの男に襲われていたとしても皆さん知らん顔しましょう」などと、酷い事を言い出す始末でした。
 しかし、そのように散々東さんの悪口を言いまくっていた栗原さんでしたが、今やママ友会のリーダー的存在の水野さんが「まぁ、やりたくない人は無視しておきましょうよ」と、素っ気なくこの話題を切り上げようとすると、突然「そうですね。私たちは大人ですから」と態度を急変させ、やけに嬉しそうにアミダクジの番号札を皆に配り始めたのでした。

 そんな水野さんは私と同じ三十路グループでした。私より二つ上の三十二歳で、犬猿の仲である東さんよりも三歳年下でした。
 水野さんは、派手で色っぽい東さんとは対照的に、清楚で綺麗な主婦でした。
 旦那さんは不動産会社を経営し、水野さんもその会社の役員をしていました。だから皆よりも裕福で、常に有名ブランドの服を身にまとっていました。
 いわゆる『セレブ妻』と呼ばれる部類だった水野さんは、行動的で統率力のある女でした。その一方で、性格は非常に神経質で、異常なほどの潔癖性でした。ファミレスのスプーンを使う時でも、公園のベンチに座る時でも、必ず携帯用の消毒スプレーをそこに吹き掛け、常に歯ブラシとうがい薬を持ち歩いては、三時間おきに歯磨きとうがいを繰り返すほどでした。
 そんな性格でしたから、水野さんは、いつも服装がだらしない東さんを嫌っていました。そして公園に潜むあの男に対しても同じくらい毛嫌いし、どんな手段を使っても必ず排除すると闘志を燃やしていたのでした。

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 アミダクジの結果、私は、このママ友会に入ってまだ一ヶ月しか経っていない真野さんと組む事になりました。
 真野さんは先月この街に越して来たばかりの、二十三歳の若いママでした。アパレル会社に勤める韓流スターのような旦那と五ヶ月になる娘の三人で、完成したばかりの新築タワーマンション(4LDK・価格5500万円)の九階に住んでいました。

 真野さんはニコニコと愛想笑いを浮かべながら、さっきまで東さんが座っていた席にやって来ました。正面の私に向かって「よろしくおねがいします」とペコリと頭を下げると、一瞬、頭を下げた彼女の髪からオレンジのような甘い香りがフワッと漂いました。
 私は「こちらこそ」と答えながらも、「ごめんなさいね、私みたいなおばさんで」と苦笑いしました。
 彼女と私の年の差は七歳もありました。三十代と四十代の七歳差ならば、然程年の差は感じないでしょうが(どちらもおばさんですから)、しかし、二十代と三十代の七歳差となると、趣味、ファッション、性格、話題、考え方など、その全てのセンスが大きく異なります。
 きっと彼女は、私みたいなおばさんと組むよりも、年の近い増田さんや重森さんたちと組みたかったと思っているに違いありません。だから私は、「私みたいなおばさんで」と先手を打ってやったのでした。

 すると真野さんは、その大きな目を更に大きく広げ、「いえいえいえいえいえいえいえいえ」と、「いえ」を八回も続けながら小さな顔の前で小さな手の平を何度も振りました。

「私の方こそ、この町の事を何も知りませんし、っていうか、大学を卒業したばかりでまだ世間の事も何も知らないし、ドジだし、馬鹿だし、泣き虫だし——」

 真野さんは、そう言葉を止めたまま小動物のような大きな黒目を天井に向け、自分の短所を探していました。
 しかし、それ以上気の利いた自虐言葉が浮かばなかったらしく、真野さんの模索する黒目がゆっくりと下がってくると、ふと正面にいた私と目が合い、おもわず互いにプッと噴き出してしまったのでした。

 真野さんは照れくさそうに笑いながら、「とにかく私、飯島さんの足を引っ張らないように頑張りますので、宜しくお願いします」と、また頭を下げました。
 再びオレンジの柔らかい香りが漂ってきました。
 真野さんは明るくて可愛いママでした。控えめなファッションは清潔感に溢れ、小顔でスタイルも良く、全体的にアイボリー色に包まれていました。そんな二十三歳の若いママは、まるで無添加天然酵母の手作りパンが美味しいカフェの隅で、村上春樹の『ノルウェイの森』を読んでいそうな、そんな今時の『ゆとりママ』なのでした。

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 しかし私は、そんな今時のママが大嫌いでした。汚いモノに欲情する変態な私ですから、アイボリー色もオレンジの甘い香りも嫌いですし、村上春樹も無添加天然酵母の手作りパンも全く興味ありませんでした。

 真野さんは、いかにも味の薄そうなレモンティーを飲んでいました。そんなカップの横には、東さんが飲み残した濃厚なブラックコーヒーが置いてありました。
 そんな、白醤油と溜まり醤油くらい対照的なカップの中身を見比べながら、私はカップの底に溜まっていたカプチーノの泡を、ジュルっと下品な音を立てながら飲み干しました。

 テーブルの上座に立つ水野さんが、明日から開始される公園の見回りについての説明を始めました。
 真野さんは手編みっぽいトートバックの中からノートとシャープペンを取り出すと、水野さんの話をノートに書き込み始めました。
 そんなノートのページの端にはトトロが印刷され、シャープペンにもトトロがプリントされていました。

 彼女を見ていると、何故か温室栽培という言葉が頭を過りました。きっと何の苦労もなく、学生気分のまま子供を産んで結婚したんだろうなと思いながら彼女見ていますと、ふとテーブルに前屈みになりながら必死にノートを取っている彼女の胸元が、真正面に座る私の目に飛び込んできました。
 若い肌の中には母乳が溜まっていました。

 プヨプヨとした、実に柔らかそうな胸でした。
 セックスが一番楽しい年頃です。子供を一人産み終え、今が最も夫に愛してもらえる時期です。

 あの胸を、毎晩あの韓流スターのような若い旦那に揉みしだかれているのかと思うと、私は異様な嫉妬に包まれました。いえ、決して韓流スターのような旦那が羨ましいのではありません。あんなチンドン屋には全く興味はありません。夫がどうとか言う問題で嫉妬しているのではなく、毎晩のように夫に愛されているという事に嫉妬しているのです。

(こんなに大人しそうな顔をしてるのに……夜は、いったいどんな顔をして喘いでいるんだろう……)

 そんな事を考えながら白い胸をソッと見ていると、不意に真野さんは「あれ?」と顔を傾げました。テーブルの端をジッと見つめながら「カイチュウ電灯のカイチュウって、どんな字だっけ……」と独り言を呟きました。

「懐の中よ」

 私がそう教えると、真野さんは「あっ、そうだった」と人懐っこい顔で微笑み、シャープペンの消しゴムでそこを消し始めました。
 見るとそこには『海中』と書いてありました。真野さんは「恥ずかしいから見ないで下さいよ〜」と照れくさそうに笑いながら、慌てて消しゴムの手を速めました。

 右腕が動くと共に真野さんの肩が揺れ、チュニックの肩がスリスリと下がってきました。真っ白な乳房の膨らみが現れ、それが卑猥にタポタポと揺れていました。
 それを見た私は再び嫉妬に駆られました。韓流スターのような旦那の上に乗りながら、激しく腰を動かしている『ゆとりママ』の淫らな姿を想像し、更に激しい嫉妬を覚えたのでした。

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(つづく)

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