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限りなく公序良俗に7






 脱衣場の荒んだ板壁に掲げられていた古時計は三時三十五分を示していた。
 この類いの古時計は、本来ならば三十分置きにボンっと気味の悪い音を響かせるはずだったが、しかしそれは壊れてしまっているのか音は鳴らず、金の振り子が無音で左右に揺れているだけだった。
 赤く充血した女の尻を鷲掴みにしながら、私はひたすらそこに腰を振っていた。
 私のすぐ真正面には男の顔があった。
 男は四つん這いで悶える女にペニスを銜えさせながら、腰を振る私の顔をジッと見つめていたのだった。

「気持ちいいですか」

 男は表情を変えないまま聞いて来た。
 私が、はぁ、と脅えながら頷くと、男はすかさず「加藤もそう言ってました」と呟いた。
 私は、先程から登場するその加藤なる人物が気になってしょうがなかった。
 男にジッと見られている気まずさから逃れる為にはいいチャンスだと思い、私は思いきってその加藤なる人物がいかなる者なのかを問い質してみた。

「加藤というのは……私の部下ですよ……」

 男は気怠そうにそう言いながら、慌てて女の口からペニスを抜いた。唾液に濡れたペニスが裸電球に照らされ、ギラギラと卑猥に輝いていた。

「部下です、というか……正確には、部下でした、ですけどね……」

 男はそう呟きながら、唾液の輝くペニスを女の頬にヌルヌルと擦り付けた。そしてピコピコと脈を打つペニスを再び女の唇の中に滑り込ませながら、「危うくイクところでした」と私を見て笑った。

「でした、というのは……会社を辞めたという事ですか?」

 私は、加藤が会社を辞めたのか、それともあなたが会社を辞めたのかと、どちらともなく聞いた。
 すると男はフッと鼻で笑った。そしていきなり私を上目遣いでギロッと睨みながら、「殺したんです」と呟いた。
 男のその目とその言葉に、おもわず私は腰の動きを止めた。
 私の体が止まるなり、部屋の空気が止まった。
 不意に男の痩せた体から唯ならぬ異臭が漂ってきた。その異臭とその狂気に満ちた目は、男のその言葉の信憑性を裏付けているようだった。

「私は癌なんですよ。半年前、大きな病院で手術したんですけどね、その時、腹を開いた先生から、『これはもう手が付けられない』なんて見捨てられちゃいましてね……だからもうそろそろなんですよ。あっちに行くのは……」

 私は黙ったまま男の顔を見ていた。萎えてしまったペニスは、いつの間にか女の濡れた穴からヌルッと追い出されていた。

「だから殺しました。あいつだけは絶対に許せませんからね……死ぬ前に殺しておかないと無念が残りますから……」

 男はそう呟くと、ペニスを銜える女の髪を力強く鷲掴みにし、それを引き上げながら女の顔を上に向けた。
 裸電球に照らされた女の顔は、涙と鼻水と唾液と汗でぐしゃぐしゃになり、まるで引き上げられた溺死体のようだった。
 そんな女の口の中に、男は乱暴に腰を振った。女は泣いているのか悶えているのかわからない呻き声を発しながら、古びた床板に爪を立てていた。

「この女は加藤とデキてたんです。私の知らない所で私の部下のチンポをしゃぶり、下品な声を出してヤリまくっていたんです。信じられますか? 相手は家族同然に付き合っていた私の部下なんですよ、しかも旦那の私は末期の癌で苦しんでいるんですよ、それでもこの女は加藤とセックスに耽っていたんです」

 男は自分の言葉に興奮したのか、突然目玉をギロリとひん剥くと、痩せたゴツゴツした拳で女の後頭部をおもいきり殴った。
 ゴッという鈍い音と共に、女はベッとペニスを吐き出した。
 女の唇から唾液が溢れ、水飴のように糸を引きながら床に垂れた。
 男は更に拳を振り上げると、もう一度女の後頭部を殴った。男が握っていた髪が手から離れ、女の額が勢いよく床板にドンっと激突した。
「うぅぅぅ……」という女の呻き声が、向かい合った二人の足下から聞こえて来た。
 男は不敵に微笑みながら私を見ていた。そしてその視線が私の下半身へと下りて行くと、男は萎えた私のペニスを見ながら「萎んじゃいましたね」と白い歯を光らせた。

「やっぱり私がいるとダメみたいですね。ふふふふふ……さっきは私の妻をメス豚女なんて罵りながら犯していたくせにね……」

「き、聞こえていたんですか……」

 私は青くなりながら下唇を噛んだ。

「違いますよ。聞こえたのではなく、聞いていたんですよ……」

 男は不敵にニヤリと笑った。
 私は、この脱衣小屋と、男が項垂れていた露天風呂の距離を素早く頭の中で測った。
 小屋から露天風呂までは少なくとも八メートルはあり、例え耳を澄ましていたとしても、小声で呟いていた私の声が男に聞き取れるはずが無かった。

「私は、あなたがこいつとここに入った時から、ずっとそこから覗いてましたよ……あなたが妻にパンツのシミを舐めろと命令したのや、喘ぐ妻に、声を出したら旦那さんにバレますよ、なんて脅していたのまで全部見てましたよ」

 男はひひひひひっと下品に笑った。
 どうしてそこまで知ってるんだと混乱した私は、「し、しかし、あなたはずっとあそこに」と叫びながら、脱衣場の入り口から見える露天風呂を指差した。
 するとそこには男がいた。トポトポトポっと湯の音が響く露天風呂で、湯気に包まれながら貪よりと項垂れている痩せた男の肩が、はっきりと私の目に飛び込んで来た。
 私の頭は混乱した。そしてすぐさま頭の中で何かが弾けた。
 頭の中に白く広がっていくそれは早朝の湖に漂う霧のように深く、そして濃厚だった。
 頭の中が白一色に染められると、私の視界がぼやけて来た。貧血を起こした時のように、じわりじわりと目の前が真っ暗になって行くのがわかった。
 私の膝がガクンっと崩れた。
 そんな私を見ながら男は笑い、そしてゆっくりと立ち上がった。

「私がいたらチンポも立たないでしょうから、しばらく私は露天風呂にいますよ。どうぞ御自由に妻をお使い下さい」

 男は勃起したままのペニスをヒコヒコさせながら入口へと向かった。
 そして入口を出た直後に男は止め、ゆっくりと私に振り返った。

「妻に何をしてもいいですけど、殺さないで下さいよ。病んだこの身で青木ヶ原の樹海まで二つの死体を運ぶのは、とてもじゃないが無理ですからね」

 男は痩せこけた肩を揺らしながらそう笑った。
 男のその表情は、口元は笑ってはいるが目は真剣だった。
 露天風呂へ進む男の濡れた足裏が、不気味にひたひたと音を立てながら遠離って行った。

(八話に続く)


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