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吐泥(へろど)5

2013/06/13 Thu 00:01

 ふと気がつくと私は闇の中にいた。
 静まり返った暗黒を見つめながら、(ここはどこだ?)と一瞬考えたが、すぐにここが新潟のホテルだという事に気づいた。
 いつの間にか眠ってしまっていた。シャワーを浴びた後、全裸のまま眠ってしまったのだ。
 スポンジのような硬いベッドに寝転んだまま頭上に手を伸ばした。ビニールシートのように硬い暗幕カーテンを開けると、シャッという音と共に、国道に並んでいる外灯が部屋をオレンジ色に染めた。
 むくりと起き上がり窓の外を見てみると、すぐ目の前で漆黒の海がうねうねと風に揺れていた。それはまるでどこかの地獄のように不気味であり、慌てて私はまたカーテンを閉めたのだった。

 サイドボードに手を伸ばし、テレビのリモコンを鷲掴みにした。一番大きなボタンを押すと、カチッという音と共に銀色の光が溢れ、安っぽいバラエティー番組の嘘くさい観客の笑い声が部屋に響いた。
 このまま寝てしまおうかどうしようか考えながらスマホを見た。なんとまだ七時だった。あまりの静けさにてっきり深夜だと思っていた私は、改めて田舎の閉塞感に恐怖を感じ、慌てて部屋中の電気を全て灯したのだった。

 煙草を立て続けに二本吸いながら、くだらないバラエティー番組をぼんやり眺めていた。確かその番組は、東京では誰も見ていないような深夜に放映されていたが、しかしここではゴールデンタイムだった。途切れ途切れに流れるCMも、解像度の低い静止画を背景に不気味なアナウンスが流れるだけといった昭和の時代を感じさせるものが多く、たかだかテレビで都心と地方の格差を思い知らされた。

 微かな空腹を覚えながらも三本目の煙草に指を伸ばした。狭い部屋の中は、既に真っ白な煙が充満しており、ふと年末のNHK特番で観た『検証・ホテルニュージャパン火災』のワンシーンが頭を過ぎった。
 天井の火災報知器が反応するのではないかと慌てて三本目の煙草を諦め、代わりに電話の受話器を握った。ルームサービスなどあるわけがないと思いながらも、電話に出たフロントの男に、何か食べるものはないかと聞いてみると、地下のサウナにカップラーメンの自販機があると教えてくれた。

 浴衣に着替えて部屋を出た。
 そのサウナは別会社が経営しているため、本来なら九百円の入場料がいるらしい。しかしこのホテルとは契約しているため、宿泊客はルームキーをサウナのフロントに預ければ何度でも無料で入場できるのだと、フロントの男は少し威張ってそう言った。だから私は財布もスマホも持たないまま、煙草と三百円とルームキーだけを持って部屋を出た。

 地下一階でエレベーターを降りた。狭いエレベーターホールにはボイラーの音がゴォォォォォォォと響き、人工的な生暖かい湿気が漂っていた。
 ビールケースが積み重ねられた通路の奥に、『サウナキング』と書かれた自動ドアが見えた。その自動ドアをくぐると、すぐ左手に七十年代のボウリング場を思い出させる古びたフロントがあり、その中で中日阪神戦を見ていたネズミ顔の親父がジロッと私を見た。
「お願いします」とルームキーを出した。ネズミ顔の親父は無言でそれを受け取ると、それと交換に『6番』とマジックで書かれたロッカーキーをくれた。
 通路には趣味の悪い赤い絨毯が敷き詰められていた。その通路の奥に、『ロッカールーム』と書かれたプレートがぶら下がっていた。
 分厚いカーテンを開けると、細い通路の両サイドに縦長のロッカーがずらりと並んでいた。そのロッカールームはなぜか妙に薄暗く、まるで映画館のようだった。6番のロッカーを開けると、地下鉄の階段で寝ているホームレスの匂いがした。

 全裸になった私は、まずは腹ごしらえだと、ロッカールームの隅に積んであった貸し出し用のトランクスを摘み上げた。オレンジのボーダー柄のトランクスはなぜかLLしかなく、サイズの合わないそれを履くと、まるでサーカスの団長のようだった。
 休憩室にはソープランドの待合室によく似たシャボンの匂いが漂っていた。客は一人だけだった。ずらりと並んだリクライニングソファーの端に、半裸の中年男がトドのようにぐったりと横たわっていた。
 そんな男を横目に、奥の自販機コーナーへ行くと、そこには日清のカップヌードルと天ぷらうどん、そしてハンバーガーの自販機があった。
 どれも懐かしい自販機ばかりだった。カップヌードルと天ぷらうどんで随分と悩んだが、結局ハンバーガーにした。なぜならカップヌードルも天ぷらうどんも、どちらも売り切れだったからだ。

 自販機の前のリクライニングソファーに腰掛けながらハンバーガーを囓った。懐かしい味がした。鍵っ子だった私は、土曜の昼は団地の裏の環八沿いにあるドライブインへ行き、よく一人でこれを食べていた。
 ケチャップまみれの萎れたキャベツをぺちゃぺちゃ味わっていると、不意に、そのドライブインのトイレが脳裏に蘇った。
 子供の頃、よくそのトイレでオナニーをした。卑猥な落書きやボットン便所の糞尿の匂い。そんな汚くて臭くて荒んだ雰囲気に猟奇的なエロスを感じていた私は、土曜の昼はいつもそのトイレに篭り、壁に描かれた女性器の落書きに向けて精液を飛ばした。

ウツボ10

 閑散とした休憩室には中日阪神戦のナイター中継が垂れ流されていた。ハンバーガーを食べ終えた私は、ケチャップだらけの紙を箱に押し込み、それを自販機の隙間に置いてある屑かごに捨てた。
 リクライニングソファーに凭れて煙草に火をつけた。ふーっと煙を吐きながらナイター中継に目をやった。野球には興味がなく、これの何が楽しいのか全くわからない。そんな画面を見ながら立て続けに煙を吹かしていると、ふと、視野に異様な光景が映った。えっ? と思いながら眼球だけをそこに向けた。休憩室の隅のシートで横たわっていた男が、いつの間にか全裸になっていた。

ウツボ11

 私と目が合うなり、男はこれ見よがしに股を開いた。ウヨウヨと生える陰毛の中に、外来種のキノコのような真っ赤な亀頭がポコンっと顔を出しているのが見えた。
 男の顔は、微笑むでもなく恥ずかしがるでもなく無表情だった。まるで蝋人形のようにジッと身動きせぬままそれを曝け出していた。
(ホモだぞ)と自分に警鐘を鳴らし、慌てて目を逸らした。異常性欲者の私ではあったが、さすがに男には欲情しなかった。欲情どころか吐き気さえ感じた。
 急に怒りを覚えた私は、吸ったばかりの煙草を乱暴に灰皿に押し潰した。嫌悪をあらわにしながら立ち上がると、そのままスタスタと男に向かって歩き出した。
 男は何を勘違いしたのか、フェラ後の淫乱女のような恍惚とした表情を浮かべ、不気味に潤んだ目で私を見ていた。半開きの唇からはハァハァと荒い息を吐き出し、その見苦しい太鼓腹を大きく揺らしていた。
 男の前を通り過ぎる瞬間、おもむろにキッと睨みつけてやった。いつの間にかキノコは膨張し、陰毛の底からカリントウのような黒棒がヌッと伸びていた。真っ赤な亀頭はヒクヒクと痙攣し、『人』という字の尿道口には淫らな汁がテラテラと輝いていた。そんなキノコは同情に値するほどに小さかった。

 これだから地方のサウナは嫌いなんだよ。
 そう呟きながら脱衣場へと向かい、ストライプのトランクスを脱衣籠の中に投げつけた。籠の横に積まれていたオレンジのタオルで股間を隠し、『ジャングル大浴場・サウナ』と書かれた分厚いガラスのドアを開けた。
 ジャングルと書かれている割には、鉢植えに入った安っぽい観葉植物がそこらじゅうに置かれているだけだった。大浴場と書かれている割には、町の銭湯ほどに小さな浴場だった。正方形の浴槽と小さな水風呂と丸いブクブクしている浴槽が三つ並び、それらが不潔っぽい観葉植物にぐるりと取り囲まれていた。
 取り敢えずブクブクしている浴槽に足を入れた。タイルの浴槽縁に腰掛け、オレンジのタオルを太ももに広げた。お湯は大量のバスクリンで緑色に染められ、ブクブクしている足元からは安っぽい匂いがムンムンと立ち上ってきた。しばらく緑の湯をぼんやり眺めていたが、どれだけ考えてもその気色の悪い湯に浸かる気が起きなかった。
 浴場の奥にログハウス調の扉があった。その扉の小窓の上に、『サウナ室』と書かれた表札が打ち付けてあった。そこに向かいながら、きっとこの重い扉を開ければ猛烈な熱気がムワッと溢れ出すだろうと予想した私は、途中の水風呂でタオルを浸し、ポタポタと水滴が垂れるそれを口にあてながら扉を開けた。しかし予想は外れた。溢れ出てきたのは強烈な熱風ではなく生暖かい温風だった。

 中は思っていたよりも広かった。十五畳ほどの長方形の空間に、オレンジ色のバスタオルが敷き詰められたひな壇が二段並んでいた。
 先客が四人いた。一人は沖縄系の青年だった。扉の前の下段に腰掛け、足元にポタポタと汗を垂らしながらジッと項垂れていた。一人はサラリーマン風の男だった。真ん中の上段で大きく股を開き、せっせと開脚前屈している。そしてあとの二人は、見るからにホモだった。神田の古本屋に山積みされているゲイ雑誌のグラビアに出てきそうな、『専務』と『熊』だった。二人はサウナの奥の突き当たりの上段で、寄り添うように並んで座っていた。

 私は一段上がり、入口前で項垂れている沖縄青年の背後にソッと腰を下ろした。しかし、上段に座っても一向に熱さを感じなかった。
 まるでコタツの中に潜っているような、そんなじんわりとした生暖かさが漂っているだけなのだ。
 もしかしたらここは低温サウナなのだろうかと不審に思いながら辺りを見回すと、ふと、扉の前に置いてあった屑篭の中が目に飛び込んできた。
 そこには、オレンジ色のキャップを被った『ぺぺローション』の空容器が転がり、そしてその容器に、コンドームらしきグリーンの物体がベタリと張り付いていた。

 嫌な予感がした。あの休憩室の露出男といい、この異様に生温いサウナといい、何か無性に嫌な胸騒ぎがした。
 よく見れば、目の前に座っている沖縄青年の背中や腰のラインは妙に女っぽかった。そして、私の隣りでせっせと開脚前屈しているサラリーマン風の男も、いかにもそのナマコのような巨大ペニスをアピールしているかのように、それを卑猥に剥き出していた。

(間違いない……ここはハッテン場だ……)

 そう気付くなり、私は凄まじい恐怖に襲われたのだった。

(つづく)

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