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うなぎの穴(2)

2013/05/30 Thu 17:39

うなぎの穴・2



 腐った板の隙間から、オイルのようなガソリンのような匂いが貪よりと漂っていた。
 深夜二時。小屋の中は真っ暗に静まり返り、腐った板の隙間からは饐えた生活臭だけが漂って来るだけだった。
 その日、遂に僕は小屋の中に侵入しようとしていた。
 というのは、一週間前の早朝、こんな事があったからだった。

 その日も、いつものように小屋を覗こうと朝の河川敷を進んでいた僕は、ふと、小屋の近くにある『ボート乗り場』と書かれた赤錆だらけの看板の脇のフェンスに、赤い下着が干されているのを発見した。

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 それは、随分とは履き古したパンツだった。
 最初は、どうせそこらで青姦したカップルが忘れていった物だろうと思ったが、しかし、フェンスの下に、乾いた泡がこびりついた青い樽と洗濯洗剤『ニュービーズ』の箱が置いてあったため、明らかに誰かが洗濯をして干した物だとそう思った。
 こんな所で洗濯をするのは、あの乞食女しか考えられなかった。
 僕はそれを摘まみ上げた。そして、(あいつは、こんな派手なパンティーを履いてるのか……)と思いながら、性器が密着する部分を指で広げた。
 しかし、当然の如く洗濯済みのソレには、期待するようなシミはひとつも見当たらなかった。一応、匂いも嗅いでみたが、キツい洗濯洗剤の香りがするだけで、あの女の体臭は全く感じられなかった。
 僕は、残念そうに「ちっ」と舌打ちしながらも、それでもそのパンツを学生服の内ポケットに押し込んだのだった。

 その晩から、オナニーする時は、必ずそのパンツをおかずにするようになった。
 ペニスをパンツで包み、そのままゴシゴシとシゴいたりした。枕にソレを履かせ、股間の部分に精液をぶっかけたりもした。
 そうやって使って行くうちにパンツは汚れていき、酸味の利いた据えた臭いが漂うようになった。
 それは、鼻がひん曲がりそうな匂いだったが、しかし、香りが出て来るとそれなりにリアリティーは増した。この酸味の利いた異臭があの乞食女の体臭のような錯覚に取り入られ、より興奮度が高くなるのだった。

 しかし、そんな興奮が高まれば高まる分だけ、乞食女の本物の汚れが染み付いたパンティーが欲しくて堪らなくなって来た。
 そんな思いは日に日に増し、もはや限界に達していた。
(あの小屋なら簡単に侵入できるはずだ)
 そう頷いた僕は、深夜、こっそり家を抜け出し、静まり返った闇の中を河川敷に向かって突っ走ったのだった。

 そんな経過から、今僕は誰もいない小屋の中をいつもの隙間から覗いていた。
 小屋の周囲は、早朝とは随分と雰囲気が違っていた。背後に迫る薮の中では、不法投棄された家庭廃棄物が月の明かりに照らされ、不気味に青白く浮かんでいた。
 真っ暗な闇の中からは、タポタポと流れる川の音が延々と続き、今にもその漆黒の水の中からヌルヌルとした化け物が這い出して来るのではないかという、そんな恐怖に脅かされていた。

 僕は、小屋の中に例の夫婦がいない事を確かめると、入口の引き戸をガサガサっと開けた。
 恐る恐る小屋の中を覗きながら、一応、闇に向かって「ごめん下さい……」と声を掛けてみた。
 シーンと静まり返った闇からは、裏の川のタポタポと鳴る水音だけが微かに聞こえて来るだけだった。
 持っていた懐中電灯を闇に向けスイッチを押すと、ライフセーバーのように伸びた茶色い光線が、闇に舞う無数の埃をチカチカと照らした。
 彼らはついさっきまでいたのか、土間は水でベタベタに濡れていた。長靴らしき濡れた足跡が、乾いた土間のそこらじゅうに浮かんでいた。
 土間には潰れた段ボールが山のように積まれていた。自転車に繋がれたリヤカーの横には箱型の発電機が置かれ、その奥に青いポリタンクが見えた。
 ふと、さっき板の隙間から匂ったガソリン臭はあいつの仕業だったのか、と思いながら一歩踏み出した僕は、後ろ手でガサガサと戸を閉めたのだった。

 狙う場所はわかっていた。もう何十回とこの小屋を覗いていた僕は、この小屋のどこに何があるのかはだいたいわかっていた。
 土足のまま小上がりの座敷に上がった。腐った畳にスニーカーが食い込み、まるで水の上に張ったビニールシートの上を歩いているような感じがした。
 彼らの衣類が収納されているのは、南側の壁に積んである段ボールだった。男の衣類が『キャベツ太郎』の段ボールで、女の衣類が『よっちゃんイカ』の段ボールだと言う事まで知っていた。

 所々に綿がはみ出した煎餅布団を土足で踏みながら、『よっちゃんイカ』の段ボールを開けると、ニュービーズの匂いがモワッと溢れ、乱雑に畳まれた数枚のTシャツが懐中電灯の明かりに照らし出された。

(これはいらない……)

 そう呟きながら段ボールの蓋を閉めた。僕が欲しいのは洗濯洗剤の香りが漂う衣類ではなく、乞食女の体臭が染み付いた汚れ物なのだ。
 段ボールを元に戻し、埃っぽい闇に懐中電灯を照らした。
 土間の隅に、映画のポスターが張られた宣伝用ベニヤ看板が数枚積み重ねられていた。看板の下には『駅地下シネマ』と書かれ、その映画の放映日が手書きで記されていた。因みにそのポスターは、去年の年末に放映されていた、菅原文太主演の『トラック野郎・爆走一番星』だった。

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 その他にも、土間には様々なガラクタがそこらじゅうに置かれ、まるで中学校の用務員室のようだった。
 そんなガラクタの中、小上がりの段差の下に、ベコベコに凹んだトタンのバケツが置いてあるのが見えた。そのバケツには、マジックで『洗たく』と書かれており、僕は(もしや……)と期待に胸を膨らませた。
 座敷の上からバケツを引きずり出した。案の定、銀色のバケツの中にはくしゃくしゃの衣類が押し込められていた。
 ドキドキしながらその衣類をひとつひとつ摘まみ出した。毛玉だらけの靴下、破れたランニングシャツ、そして黄ばんだトランクスに、丸まったパンティー……。

 急いで他の衣類をバケツの中に戻した。白いパンティーだけを腐った畳の上に置き、上から懐中電灯で照らした。
 生地はボロボロになっていた。洗濯しすぎなのか、所々破れ、縫い目の糸がほつれていた。
 丸まったソレを懐中電灯で照らしながら、左の人差し指で恐る恐る広げた。性器に密着していた部分がパラリと捲れるなり、おもわず僕は「うっ」と顔を顰めた。
(なんだこれは……)と驚愕しながらそれをソッと手に取ると、まさに『よっちゃんイカ』の如く強烈なイカ臭が、ツーンっと僕の鼻孔を刺激したのだった。

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 クロッチに染み付く不気味な黄色い縦染みは、およそ十センチ近くあった。この黄色いシミの正体がいったい何なのかはわからなかったが、このシミの長さと形こそがあの乞食女の女性器そのものなのだと思うと、ズボンの中で勃起したペニスを引きずり出さずにはいられなかった。

 懐中電灯を点灯したまま畳の上に横たえた。斜めの光に照らされながらジャージのズボンを膝まで下ろし、立てた両膝の真ん中からピンっと突き出たペニスをシコシコと激しくシゴいた。脳がジーンと痺れ、無意識に「あぁぁぁぁ……」という声が漏れ、膝が崩れた。

 静まり返った闇の中に、ハァハァという荒い呼吸だけが響いていた。ゆっくりとパンティーを顔に近づけた。そして恐る恐るその不気味な黄色いシミに鼻を近づけた。ほんの少しだけ「すっ」と嗅いでみた。本当にほんの少しだけだったのに、その強烈な匂いは僕の脳を一気に破壊してしまった。

 それは、不意に『キンカン』を嗅がされた時の刺激によく似ていた。嗅いだ瞬間、フッと一瞬記憶が飛び、まるでカキ氷を一気喰いした時のように額にツキーンと衝撃が走り、おもわず頭を抱えて、「あぁーっ……」と唸ってしまった。

「本当に臭い」

 ムクリと顔を上げた僕は深々とそう呟いた。
 その匂いは、文で表現できるような単純なものではなかった。
 それでもその匂いを強いて例えろというのなら、それは、『真夏の魚屋の裏に三日間放置されていたポリバケツの、その底に溜まっている濁った水を腐った蟹の甲羅の中に注ぎ、そこに大量の粉チーズと大量の下ろしニンニク、そして果物の王様「ドリア」の絞り汁を加え、それを肉屋で働くデブ店員の足立智紀(三十三歳)に飲ませて下痢をさせた後の便器に飛び散った茶色い液体の匂い』と、まぁ、こんな複雑な表現になってしまうのであった。

 そんな凄まじい異臭の漂うパンティーだったが、しかしそれでも僕は異様な興奮に包まれていた。
 乞食女のパンダのように垂れた目。あのムチムチの尻とタポタポと揺れる乳肉。そして、今までに何百回と乞食老人にペニスをピストンされたと思われる、キクラゲのように真っ黒な膣。
 それらが次々と頭に浮かび、目眩を感じるほどに欲情してしまった僕は、おもわずその黄色いシミに舌を伸ばし、「臭い、臭い」と唸りながらもそこをペロペロと舐めてしまっていたのだった。

 僕の唾液でヌルヌルになってしまったその部分に亀頭を擦り付けた。畳の上にゴロリと寝転がり、激臭パンティーでペニスを包みながら、そのままそれをゴシゴシとシゴいた。

「おまえみたいな乞食野郎は、中で出してもいいよな」

 両膝をスリスリと擦り合わせながら闇に向かってそう呟いた。
 このままパンティーの中で射精すれば、せっかくの黄色いシミは台無しになってしまうだろう。しかし、今の僕には、もはやそのような損得を考えられる余地はなかった。

「中で出すぞ!」

 そう呟いた瞬間、ビュっ、ビュっ、と精液がパンティーの中に飛び出した。
 パンティーの上からコリコリしたペニスを激しくシゴきまくった。クロッチに溜まる精液が生温かく、クチュクチュといやらしい音を立てていた。
 凄く気持ち良かった。今まで乞食女の下着で抜いていたオナニーとは全く違っていた。そこに生々しいシミがあるのとないのとではこれだけ気持ち良さが違うのかと、我ながら驚いていた。

 そんな余韻に浸っていると、突然、ギシッ、ギシッ、という不気味な音が壁の向こうから聞こえた。
 僕は、まるでケツに火鉢を突っ込まれたかのようにして慌てて飛び起きた。
 溜まった精子で重くなったパンティーを投げ捨て、その音が聞こえる壁に張り付き、ソッと耳をあてた。
 その壁の向こうは川だった。ギシッ、ギシッ、という音に混じり、チャポン、チャポン、という水の音がはっきり聞こえた。
 一瞬、歯軋りしながら夜の川を泳いでいる緑色の河童が頭に浮かび背筋がゾッとした。が、しかし、すぐにその音がボートを漕ぐ音だと気付いた僕は、慌てて懐中電灯を消し、その音が聞こえる壁の隙間から外を覗いた。

 漆黒の闇の中、黄色く発光する電球の球がポツンと浮かんでいた。
 その光はみるみると小屋に近づき、ボートを漕いでいる乞食女と、煙草を吹かしている乞食老人の姿が、青い月の明かりにぼんやりと照らされているのが見えた。
 真っ青になった僕は素早く立ち上がった。奴らに見つかったら本当に殺されると本気で焦り、そのまま小上がりの座敷から土間に飛び出したが、しかし、最悪な事にジャージのズボンは足首に下がったままだった。

 バランスを崩した僕は、まるで一本釣りされたカツオのように、土間に激しく打ち付けられた。
 額にガツンっという衝撃が走り、一瞬記憶が飛んだ。起き上がろうとしても体が動かなかった。逃げなければ! 逃げなければ! と必死にもがいているが、しかし、蠢く僕の腕と足は、殺虫剤を噴きかけられて床に蠢く蚊のようにスローだった。

 朦朧とする意識の中、うぐっ……うぐっ……と唸りながらも、やっと四つん這いになる事が出来た。
 しかし、既にボートは川辺に到着していた。川の中をザバザバと歩きながら「ちゃんとロープで括っておけよ」と命令する乞食老人の声が間近に聞こえた。
(もう間に合わない……)
 そう諦めた瞬間、四つん這いになる腕と膝がガクガクと震えた。
 まるで生まれたばかりの子馬のように、闇の中でガクガクと震えている僕は、今更ながらここに侵入した事を、激しく後悔したのだった。

(つづく)

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