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裸のOL5



 手を洗い終えた私が薄暗い廊下から恐る恐るオフィスを覗くと、無人のデスクがズラリと並ぶ巨大なフロアの一番奥の一角だけがぼんやりと蛍光灯に照らされていました。
 私は誰もいない薄暗いオフィスにそっと入ると、そのままカウンターに沿って奥へと進みました。誰もいないオフィスのデスクには、付きっぱなしになっているパソコンがいくつかあり、それらが不気味な灯りを発しております。
 グレーの短いカーペットを音もなくスタスタと進みました。やっと長い受付カウンターの切れ目が見えて来ると、キラキラと輝く新宿の夜景を背景にしたソファーで棚橋部長が書類を見ていました。

「うん……」

 足音もなくやって来た私をチラッと見た棚崎部長は、そう頷きながら私に来客用のソファーを進めると、なにやら難しい表情をしながら再び書類に視線を戻しました。
 この応接セットが並ぶ来客用のスペースはこのオフィスの中でも最も景色の良い場所で、天井にまで伸びる巨大なFIX窓からは新宿副都心が一望できました。
 書類をジッと見つめている棚崎部長の正面のソファーに恐る恐る腰を下ろすと、私は視線をどこに向けていいか戸惑いながらも、とりあえず応接セットの横に置いてあったショーケースに並んでいる新製品の化粧品にソッと視線を向けていました。
 しばらくの間、重苦しい沈黙が続いていました。棚崎部長はソファーにふんぞり返ったまま書類をパラパラと捲り、時折深い溜息を付いています。私はそんな棚崎部長からいったいどんな小言を言われるのかと不安になりながらも、窓の外でキラキラと輝いているロボットのような都庁をボンヤリと見つめては今夜の夕食はどうしようかと考えていました。

「とにかく……キミに対する苦情というか批判と言うか……凄いんだよ……」

 いきなり沈黙を破った棚崎部長は、そう言いながら手に持っていた書類をテーブルの上にパサッと置きました。

「これはある社員がキミに対する苦情を書いた投書だよ」

 私は、テーブルの上に広げられている書類にソッと視線を向けました。そこには明らかに女性の字だとわかるスマートな文字が並んでおり、瞬間的に葉山さんの顔が浮かびました。
 その葉山という女性社員は、年齢は違いますが私と同期で入社した30才の独身女です。性格は異常が付くほどの潔癖性で、エレベーターのボタンを押す時もハンカチで指を包みます。いつもポケットに携帯用のアルコールスプレーを持ち歩き、受話器、電気のスイッチ、パソコンのキーボードと、何にでもそれを噴きかけるような、そんなどこか精神的に病んでいる人でした。
 そんな葉山さんは、悉く私を毛嫌いしておりました。というのは、私にセクハラをしてくる男性社員グループの1人である田野倉という男を葉山さんが好きだったからです。
 葉山さんは、私と田野倉が関係があると思い込んでいました。実際、葉山さんは書類倉庫の隅で私と田野倉がキスをしているのを目撃しておりますから、葉山さんが私と田野倉の関係が怪しいと思うのも無理はありません。しかし、あの倉庫でのキスは、書類を整頓していた私にいきなり田野倉が抱きついて来ては強引にキスを迫って来たものであり、あれは歴としたセクハラだったのです。
 しかし葉山さんは田野倉達が私にセクハラしているなど夢にも思っておりません。いえ、葉山さんだけでなくこの会社の社員達は皆、誰一人として私が田野倉達にセクハラされている事など何も知らないのです。そんな事から、私は葉山さんからいわれのない嫉妬を向けられ、悉く毛嫌いされていたのでした。

「この社員はキミの事を不潔だと言っている……」
「不潔……ですか?……」
「あぁ。……キミが不特定多数の男性社員と社内恋愛してるとね」
「………………」
「ここには、キミが数人の男性社員といやらしい関係にあるとはっきり書いてあるんだ。これがまるっきりのデタラメとでも言うのかねキミは……」

 私は悩みました。そんな疑いを掛けられるくらいなら、いっその事、田野倉達にセクハラされている事実を、今ここで棚崎部長に洗いざらい全て話してしまおうかと思ったのです。
 しかし、そんな考えはすぐに諦めました。そう、私のような成績の悪い女性社員がいくら訴えた所で彼らに敵うわけがございません。彼らはいずれも有名大学を卒業したエリート達ばかりで、会社からは一目も二目も置かれる有望な若手社員達ばかりなのでございます。しかも、そのグループのリーダー的存在の男はこの会社の重役の甥っ子で、この社員には棚崎部長でも一線を置いている社員なのであります。
 そんな彼らを訴えた所でどうせ棚崎部長はそれを握り潰す事でしょう。いや、握り潰されるだけならまだしも、きっと私は会社を追放されるに違いありません。
 ですから私は、この時真実を言えないまま、ただただ「違います」と首を振って否定するしかありませんでした。

「違うってねぇキミ……ここには、ほら、こうしてちゃんと、キミと数人の男性社員が不潔な行為をしていると書いてあるじゃないか。しかも会社のトイレや倉庫室で……これはいったいどう言う事なんだ、ちゃんと説明してもらわないと困るよキミ!」

 棚崎部長は唇をへの字に曲げながらソファーの肘掛けをバン!と叩きました。その乾いた音が静まり返ったオフィスに響き、私はそんな音にビク!と背筋を反応してしまいました。
 そんな私の怯えた態度に、棚崎部長は益々私を怪しいと睨んだのか、まるで殺人犯の取調べをする刑事のように「素直に白状しろ!」と大きな声で怒鳴りました。
 とたんに私の目に涙が溢れました。どうして私はいつもこんなに不幸なんだろうと思うと、自分という存在が可哀想で可哀想で堪らなくなり、居たたまれなくなった私はその場で下唇を噛んだまま泣いてしまいました。

「泣いたってダメだよキミ。キミがいつ誰とどこで不潔な行為をしたのか正直に白状してもらうまでこの問題は終わらないんだ。わかるだろ?……嫌な問題はさっさと解決してしまった方がいいんだ、だから正直に言いなさい。ほら、いったい誰と不潔な行為をしたんだ……ん?……」

「……してません……」

 私には否定するしか方法はありません。

「してない?……でもここにほら、はっきりとキミの事を『不潔』だと書いてあるじゃないか……」

 棚崎部長はそう言いながら、皮のソファーにグググッと音を立てて立ち上がりました。
 そして真正面に座っていた私に歩み寄ると、「じゃあこれはどう言う意味の不潔なんだろうねぇ……」っと呟きながら、私の隣のソファーに腰を下ろしたのでした。

 棚崎部長は、暫くの間、グスングスンと泣いている私の横顔を見つめていました。
 荒い鼻息に、貧乏揺すりに、漂う加齢臭。いつも棚崎部長に説教されている時に感じる不快感が横顔に迫っています。棚崎部長が「はぁぁぁ……」と大きな溜め息をつくと、私の顔は歯槽膿漏じみた生温かい口臭に包まれました。 
 そんな溜め息混じりに、棚崎部長は、「キミ、ちゃんとお風呂には入ってるのかね?」と、突拍子もない事を聞いて来ました。
 私はそんな棚崎部長の質問にバカバカしいと思いながらも、コクンと頷きました。

「男性社員とも不潔な行為をしていないし、風呂にもちゃんと入っている……ならば、この『不潔』というのはいったいどういう意味だね?」

「……わかりません……」

「わからないじゃ困るんだよ。私も部長という立場を預かる1人だからね、これは徹底的に追及しなければならないよ、うん……」

 棚崎部長はそう言いながら、いきなり私の髪を指で摘み、それを調査するかのように指でジリジリっと擦るとそのまま私の髪に顔を近づけクンクンと匂いを嗅ぎ始めました。
 驚いた私がパッとそれを避けると、棚崎部長はカマキリのような目を更に吊り上げながら私を睨み、そして静かにこう言ったのです。

「キミもよく知っているように、我が社は女性化粧品を扱う日本ではトップクラスの会社だ。そこの社員が『不潔』などと噂されては会社の名前に傷が付いてしまうだろう……だから、私はこの会社を守る部長の1人として、今からキミの体の清潔度をチェックさせてもらう……いいな?」

 そんな棚崎部長の理不尽な言葉に愕然とした私でしたが、しかし、この男には何ひとつ口答えできない私は、黙ってコクンと頷くしか選択は残されていなかったのでした。

(つづく)

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