蠢女14(地下拷問室)
2012/12/02 Sun 00:01
その光は、中庭にある側溝から漏れているものでした。恐らく、中庭に溜まる雨水をそこから地下に落とす為でしょう、外の光が注ぎ込むその隙間からは雑草の緑が見えました。
しかし、そこには頑丈な鉄格子が嵌め込まれていました。しかも、例えその鉄格子がなかったとしても、その隙間は猫が一匹通れるか通れないかという狭さであり、どちらにしろ大人の私が潜り込めるような隙間ではありませんでした。
突然、ガタン! という音が階段の方から響いてきました。大男が鉄扉の鍵を開け、ヤンが階段に入って来たのでしょう。
私は闇の中でパニックを起こしました。光が漏れているその鉄格子にしがみつき、コンクリートの壁に頬を擦り付けながらすすり泣き、そして失禁しました。
ドタドタドタっと階段を下りる足音が暗闇に響きました。狼狽える私は、すぐ横に置いてあるシートの中に潜り込みました。
ヤンは母国語で何かを叫けんでいました。カチカチという音が聞こえてきました。それは恐らく照明のスイッチを触っているのでしょうが、しかし照明が点くはずありません。
再びヤンが叫びました。それと同時にカチカチという音が消え、大男のものと思われる足音が階段を駆け上がって行ったのでした。
大男の足音が遠ざかって行くと、闇の中にヤンの溜め息が聞こえました。
恐らく、大男は懐中電灯を取りに行ったのでしょう。
どちらにせよ、私が捕まるのは時間の問題でした。もはや、この暗闇の地下室では袋のネズミなのです。
再び「ふーっ……」というヤンの溜め息が聞こえました。そしてジリッ、ジリッ、とコンクリート床の小石を踏む音も聞こえてきます。
「もう、逃げられません。出て来て下さい。そして私の大切なDVDを、返して下さい……」
ヤンの声が響きました。怒りを必死に堪えているのでしょう、彼のその声は妙に低音でした。
「あなた、そのDVD見ましたか? それはとっても大変なDVDなのです。それを警察にあげると、あなた絶対に殺されます。私も殺されます。彼らとっても怖い人。どこに逃げても必ず見つけるよ」
どちらにしても殺されるのです。今、このDVDをヤンに渡しても渡さなくても、どちらにしても私の命はあと数分なのです。
「大丈夫。何も心配ない。そのDVDを私に返す、そしたらあなた、私のトモダチとナガノ行く。ナガノでお弁当作る。幸せに暮らす。何も問題ない。でも、彼ら裏切ったら、とっても大変。彼らとっても怖い人。あなたも私も殺される」
そのナガノというのが、きっとこの地下室なのです。そしてその『怖い人』というのが、あのDVDに出ていたオズの魔法使いたちなのです。
恐らく、ヤンや刺青男たちは日本人女性を拉致する担当なのでしょう。あのDVDに出ていた黒い覆面をしていた男たちです。
きっとヤンは、その『怖い人』たちに次の生け贄を急かされていたのです。焦ったヤンは、白いワンボックスカーで夜の新宿界隈を物色して回っていた。その時、歌舞伎町で不審な私を発見した。そしてヤンは、私をこのビルの部屋に連れ込む事に成功したのです。
さっそくヤンは、携帯で彼らに『女を捕まえた』とでも話したのでしょう。だから、もう少ししたらその『怖い人』たちがここにやってくるのです。
しかしヤンは失敗しました。私にDVDを見られてしまった。そして私はそのDVDを盗み、今、こうして抵抗している。
それがその『怖い人』にバレたらヤンの立場も危ういのでしょう、だから彼は、これが『怖い人』にバレる前に私を確保しておきたいのです。
そんな事をシートの中で身動きせずにジッと推理していた私は、ふと、ヤンが私を殺せない事に気づきました。
『怖い人』が来る前に、約束の生け贄を殺すわけにはいきません。だからヤンは、さっき非常階段で私を撃たなかったのです。生け贄として差し出すには無傷でなければならないため、だからヤンはあの時わざと弾を外していたのです。
そう思った瞬間、まだ助かる、っという希望が湧いてきました。その『怖い人』たちが来るまでは命の保証はされているのです。まだ、逃げるチャンスはあるのです。
ギュッと拳を握ると、ふと、私の肘に冷たい物が触れました。それは太鼓の撥ほどの鉄のスパナでした。手探りしてみますと、このシートの中には、他にも金槌やドライバーといった工具が沢山ありました。
一か八か。私はそう呟きながらスパナと金槌を握り、シートから這い出しました。
シートがガサっと音を立てると、階段の下にいたヤンが慌ててこちらにライターの火を向け、「こっちです! こっちに来て下さい! 何も心配ない! ありがとう!」と悲痛な声で叫びました。
どうやらヤンは、私が降伏したと勘違いしているようでした。だから私はわざとらしく「ごめんなさい、許して下さい」と呟き、ヤンを油断させて近づきました。
「大丈夫。私は許します。大切なDVD、返してくれたら、何も問題ない」
ヤンは私がどこにいるのかわからないのでしょう、ライターの火をあっちこっちに向けながら必死に私を捜していました。
私はヤンが立っている右側の壁に張り付きました。足音を立てないように爪先で進み、重たいスパナをギュッと握り返しました。
早くしないと大男が懐中電灯を持ってやってきます。絶対に失敗は許されません。一撃でヤンを殺してしまわないと、私は捕まってしまうのです。
ヤンとの距離は数メートルになりました。すぐ目の前にヤンの姿が見えます。しかし、一撃で彼を仕留めるにはもう少し距離を縮めなくてはなりません。今ここで、ヤンがライターの火をこちらに向けたら一巻の終わりでした。
「どこですか? 早くしないとトモダチが来てしまいますよ?」
そう言いながらヤンは、再び周囲をライターの火で照らし始めました。
私は中腰に構えました。そして右手に持っていたスパナをソッと頭上に振りかざし、左手に持っていた金槌を左側の壁に向けて投げたのでした。
闇の中で、カン! っと金槌が壁に当たる音が響きました。
その瞬間、ヤンのライターの火がそちらに向き、私の目の前にはヤンの痩せこけた後頭部が浮かんでいました。
ザッと踏み込みました。そして下唇を強く噛み締めながら、ヤンの後頭部に向けて思い切りスパナを振り下ろしました。
ガッ! という鈍い手応えと同時に「ぐぁっ!」っというヤンの唸り声が聞こえました。
やった! と思った瞬間、階段を下りて来た大男が私を懐中電灯の光でパッと照らしました。
「○○○!」
ヤンが母国語で叫びながら私を突き飛ばしました。私が振り下ろしたスパナは、ヤンの後頭部ではなくその細い肩に食い込んでいたのです。
「糞ニホン人め!」
ヤンは、コンクリート床に尻餅をつく私に向かって、日本語でそう叫びました。
恐らく肩の骨は砕けているのでしょう、そんなヤンの顔を凄まじく歪んでいました。
「○○○○○!」
ヤンが大男に何か叫ぶと、大男は私に懐中電灯を向けながらも、もう片方の手で腹の中から黒くて大きな拳銃を抜き取り、それをヤンに渡しました。
「おまえ、もうダメ! おまえ、もういらない! 豚の餌にする!」
ヤンは痛みで顔を歪ませながらそう叫ぶと、私に拳銃を向けました。
私は咄嗟に闇の中に飛び込みました。
「ドン!」という音と共にパッと火花が散り、足下のコンクリートが一瞬ズシリと揺れました。
私は闇の中を這い回りました。大男の懐中電灯が必死に私を追いかけ、その後を「ドン!」、「ドン!」という音が追いかけてきました。
その音は、さきほどの非常階段の時の、「パン!」とポップコーンが弾けるような音とは明らかに違っていました。その拳銃の音は、確実に死に至らしめるほどの殺傷能力が感じられました。
私は再びシートの中に潜り込みました。そして、そこに置いてある切断機のような大きな機械の後ろに潜り込みました。
怒りでトチ狂ったヤンは、母国語でわめき散しながら、「ドン! ドン! ドン!」と、闇の中を滅茶苦茶に撃ちまくってきました。
どこから弾が飛んで来るかわからない恐怖に悲鳴を上げながら、私はその切断機の裏にあったボイラーの後ろに潜り込みました。
「殺す! ニホン人め! マンコにチャカ入れて、撃ちまくる!」
絶叫するヤンの拳銃が、カチャ、カチャ、カチャ、と空撃ちしました。慌てて弾を充填しているのか、ガサガサと言う音が聞こえてきます。
私は更にボイラーの奥へと這いずりました。しかしそこでコンクリートの壁に突き当たりました。もう逃げ場はありません。
焦った私は、ひゃ! ひゃ! ひゃ! と奇妙な呼吸音を喉に鳴らしながら、まるで犬が地面を掘るようにして、両手でコンクリートの床を掻き始めました。
恐らく爪が剥がれたのでしょう、嫌な痛みと共にタラっと生暖かい感触を指先に感じました。
しかし、それでも私は無我夢中でコンクリートを掻きまくりました。真っ暗な闇の中を必死になって掻きまくっていたのです。
再び、「ドン!」という音が響き、すぐ後ろのボイラーがボコン! っという音を立てて跳ね上がりました。
私がここに隠れているのはバレていました。大男の懐中電灯の光は、ボイラーを照らしています。
二人の足音が近づいてきました。もうダメだ、と思いながらも床を掻きました。マンコに拳銃を入れられ子宮をズタズタに撃ちまくられると、半狂乱になりながら掻きまくりました。
すると、何やら指先に手応えを感じました。血まみれの指が何かにクイッと引っかかったのです。
それは何かの蓋でした。まるでマンホールのような鉄でできた丸い蓋でした。
それを思い切り引っ張りました。するとその蓋はいとも簡単に開き、何やら冷たい空気と凄まじい悪臭がスッと私の顔面に吹きかりました。
「おい!」
ヤンの声がボイラーの向こう側から聞こえてくると同時に、懐中電灯の光がボイラーの裏を照らしました。
コンクリートの地面にポッカリと穴が開いていました。それは直径六十センチほどの穴で、先が見えないほどに深い穴でした。
大男がボイラーをガラガラガラっと引きずりました。懐中電灯の明かりがそこに踞る私をパッと捕らえ、すかさずヤンが「はははははは」っとわざとらしく笑いました。
私は持っていた鉄の蓋を後ろに向けて思い切り投げました。
「わあっ!」という二人の声と共に、「ドン!」という音が響き、私のすぐ目の前のコンクリート壁を、バッ! と破壊しました。
私は咄嗟にその穴の中に両脚を入れました。当然、足は着かず、そこから這い上がって来る冷気からして相当深い穴だと感じられました。
その先がどうなっているのか、それがどれほど深いのか全くわかりませんでした。しかし、砕けたコンクリート壁のようにマンコを破壊されるくらいなら、この穴の中で頭を割って死んだ方がマシだと思いました。
「やめろ!」
ヤンがそう叫びました。
それと同時に、私はその未開の穴の中に飛び込んだのでした。
(つづく)
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