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蠢女1(精神病院)

2012/12/02 Sun 00:01

1蠢女



 私の精神状態が不安定になったのは、二十三歳の時、自宅の車庫で並んでぶらさがっている両親の無惨な姿を目撃したからでした。
 その日の朝、母はいつものように、出勤する私を玄関まで送ってくれました。
 靴を履いている私の後ろで、母は玄関に置いてあった小さな鏡を覗き込みながら「そろそろ白髪を染めなきゃね」とポツリと独り言を呟いていました。
 そんな母が、会社から帰って来ると、真っ赤に充血した白目を剥き出しながら紫色の舌をベロリと出していたのです。「白髪を染めなきゃね」と笑っていたあの母が、その数時間後、自分の意志によって命を絶っていたのです。
 父もそうでした。いつもあれだけ厳格だった父が、今はだらしなく糞尿を垂れ流しながらぶら下がっておりました。弟の義之が便器の外に、ほんの少量の小便を垂らしただけで「汚い!」と怒っていたあの潔癖性な父が、今は糞尿だけでなく内臓までも垂れ流しているのです。
 そんな無惨な両親を目の当たりにした私は、その激しいショックでたちまち正気を失いました。
 あの時私は、なぜか突然、急がなければ私だけこの世に置いて行かれてしまうと、焦ったのです。
「待ってよ!」と絶叫しながら、両親がぶら下がっている鉄骨に慌ててロープを巻き付けました。
 すると、そうしている所を近所のおばさんに発見され、大騒ぎになりました。
 ただちに近所の人たちが集まり、屈強な警察官が数人駆けつけました。
 私は二人の警察官に取り押さえられました。「落ち着きなさい! 落ち着きなさい!」と何度も耳元で叫んでいたあのお巡りさんのタバコ臭い口臭は未だにはっきりと覚えています。
 救急車が到着すると、すぐさま口にタオルを巻かれ、後ろ手にされた手首をマジックテープのような物で拘束されました。
 雨の日の犬小屋のような匂いのする毛布でぐるぐる巻きにされた私は、そのまま救急車に押し込められました。
 お隣りの島田のおばさんは「恭子ちゃん!」と悲痛な声で私の名を叫びながら泣いておりましたが、しかし、向かいの大村さんちの若奥さんは、微かに薄ら笑いを浮かべていました。
 そんな近所の人たちの好奇の目に晒されながら、私はそのまま県境の総合病院に連れて行かれました。
 私は、自殺した両親の遺体を発見したというショックで、一時的に正気を失ったに過ぎなかったのですが、しかし、私には親戚も身寄りも無く、友達もいなければ恋人もいなかったため、そのまま保護という名目で大きな精神病院に連れて行かれる事になったのでした。
 
 この特殊な病棟での生活が私の人生を激しく狂わせてしまったといっても過言ではありません。
 そのくらい、そこは劣悪で危険で残酷な場所だったのです。
 病棟には、常識では考えられないような、想定外な人たちばかりが閉じ込められていました。
 不安、幻覚、妄想、という目に見えない邪気に踊らされた人々が、血迷い、発狂し、とち狂いながらも、自傷、暴力、変態行為を繰り返しているのです。
 私が生活していた七号室には、奇怪な女が四人いました。
 頭の中に虫がいると騒ぎだしては、自分の目玉をくり抜こうとする中年女。一日中白い壁を見つめながら終始笑っている老婆。血まみれになりながらも鼻くそをほじくり続け、そしてそれを食べ続ける少女。
 極めつけは、ここに来る前はジャッキーチェンの婚約者だったという三十代の女で、彼女は、なぜか必ず私のベッドにこっそり忍び込んでは、密かに布団の中でウンコをするのでした。
 そんな奇怪な人々と毎日同じ部屋で暮らしていれば、正常な精神も狂ってしまいます。
 ある時私は、あまりにも汚い七号室に我慢ができなくなり、掃除しようと思い立ちました。そして職員さんから掃除道具を借り、一人でせっせと掃除を始めたわけですが、しかし、そこに不意に現れた院長さんから「とても綺麗になりましたね。ありがとう、もういいですよ」といきなり言われました。
 もういいですよと言われても、たった今掃除を始めたばかりです。この院長は私を馬鹿にしているのかと腹が立ち、院長を無視して掃除を続けたのですが、しかし、すぐさま数人の職員さんに取り押さえられ「とりあえずご飯を食べましょうね」と、偽物臭い笑顔で囁かれながら拘束具を付けられたのです。
 そのまま私は鎮静房に入れられました。そしてそこで職員さんから聞かされました。今日で三日間、掃除を続けていたと。
 なんと私は、食事も取らず、睡眠も取らず、そして大小便を垂れ流したまま三日間掃除を続けていたらしいのです。
 それを職員さんから聞かされた時、背筋にゾッと冷たい物が走り、悲鳴を上げたいほどの恐怖に駆られました。
 しかし、それは私だけではありませんでした。ここではそれが普通なのです。鼻くそをほじり続ける少女も、壁に向かって笑い続ける老婆も、みんな自分がおかしな行動をしているという事に全く気づいていないのです。
 その日から私は、「お掃除さん」というニックネームで呼ばれるようになりました。もちろんこんなニックネームは私だけではありません。ここには他にも「鼻くそさん」や「大めし喰らいさん」、「足クサさん」や「放火魔さん」など、酷いニックネームの人が大勢います。更に凄いのになると「首つりさん」や「子殺しさん」などという洒落にならないニックネームの人までおりました。
 そんな悲惨なニックネームは、この施設の職員さんが決めていました。名前で呼ぶよりも、その症状や奇怪な行動で呼んだ方がわかりやすいからでしょう、医師までもが患者をそのニックネームで呼んでおりました。
 これがマスコミに知れようものなら人権団体などが大騒ぎし大変な事になるのでしょうが、しかし、ここではその心配はありません。
 なぜなら、ここで働く職員や医師には守秘義務という法律上の義務があり、ここでの出来事は例えニックネームですら一切口外する事はできないからです。
 それに、例えここに収容されている者が何らかの方法で外部にそれを訴えたとしても、まず無理でしょう。なぜなら、ここにいる者の話など誰も信じないからです。
 つまりここは、一般社会とは完全隔離された陸の孤島なのです。電話も手紙も面会も一切不許可な、監獄以下の孤島なのです。
 だからここで行われている違法な手術も、人体実験も、虐待も、レイプも、何一つ外部に漏れる事はありません。例え漏れたとしても誰も信じません。2ちゃんねるに書かれた都市伝説で終わってしまうのです。
 しかし、実際私は、そんなシーンを何度も目撃しております。
 暴れる患者は鉄の警棒で殴られ、催涙スプレーを吹きかけられていました。まるで14世紀のヨーロッパで使われていたような残酷な拘束具を付けられたまま鎮静房で死んだ人もいました。
 警棒でも鎮静房でも言う事を聞かない患者は、頭蓋骨に穴を開けられ脳の一部を切り取られるという残酷な手術を強制的にされていました。
 これはロボトミーという手術らしく、昭和五十年代までは平然と行われていた手術だったらしいです。しかし、その後、非人道的行為とされ、今では禁止されているとても危険な手術らしいのです。
 しかしここではそんな違法な手術も平然と行われていました。本人や家族の同意を受けないまま、暴れ狂う患者を強制的に拘束し、そのままガリガリと頭蓋骨に穴を開けては前頭葉を切り取ってしまうという、そんな恐ろしい出来事がここでは実際に起きていたのです。
 しかし、そんなロボトミーの恐怖は、女の私にはあまり実感がございませんでした。ロボトミーの対処にされるのは、大概、体の大きな男性患者と決まっていたからです。
 しかし、だからといって安心はできませんでした。男にはロボトミーの恐怖があるように、女にも女の恐怖があったからです。

 それは、男性職員による性的虐待でした。
 さすがに医師免許を持っている医師や、正社員の職員はそんな事はしませんでした。それをする男性職員というのは、ここで雑用係として働いている、いわゆる外部職員と呼ばれる者たちで、中にはそれを楽しみに毎日ここに通っているという外道もいるのです。
 そんな外部職員に、若い女性患者はことごとく性的虐待を受けていました。
 洗濯物の汚れた下着を見られたり、トイレを覗かれたり、身体検査だと言っては体を触られるなど日常茶飯事でした。
 真夜中に突然当直室に連行され、そこで数人の外部職員にレイプされるなど毎晩のように行われていました。
 更に酷いケースは、患者が夜中に突然暴れ出したなどと勝手にでっち上げ、そのまま患者を鎮静房に連れ込むという手口でした。
 鎮静房には残酷な拘束具が沢山あります。それは一歩間違えば非常に危険な拷問具なのです。
 そんな鎮静房に連行された患者は、異常な外部職員たちから性的拷問を受けました。鬼なんとかという作家が描くSM小説など比べ物にならないような凄まじい性的拷問を与えられるのです。
 実際、私の隣の部屋に「おかっぱちゃん」というニックネームを付けられた統合失調症の十七歳の少女がいたのですが、彼女は毎晩のように鎮静房に連行され、肛門にあらゆる異物を押し込まれていました。
 ある時彼女は、突然原因不明の高熱を出し、三日三晩魘された挙げ句にぽっくりと死んでしまいました。
 病院は、風邪をこじらせて死んでしまった、と、まるで野良猫の如くあっけなく処理してしまいましたが、しかし私達は知っていました。三日前、鎮静房に連行されたおかっぱちゃんが、肛門に鉛筆を入れられ、それで腸に傷がついて高熱を出していた事を。
 しかし、私達はいくらその事実を知っていても、それを医師や正規職員には言えませんでした。それを彼らに教えた所で、私達のような狂人が言っている事をまともに信じて貰えるはずはなく、逆に外部職員達から告げ口した事を逆恨みされ、深夜に鎮静房に連行されるかも知れないからです。
 おかっぱちゃんが死んだその翌日から、さっそく外部職員達は次の獲物を探し始めました。
 彼らに容姿は関係ございませんでした。デブであろうと、顔が醜かろうと、例え妊娠していようとも、若い女なら誰でもいいのです。
 この病棟でおかっぱちゃんの次に若かったのは、「まるこちゃん」と呼ばれる十九歳の女の子でした。
 彼女は、集会室のテレビで「ちびまるこちゃん」が始まると、なぜか必ずテレビを破壊しようとする癖を持っていました。
 その原因は、幼い頃、実の母親から虐待を受けていたからでした。その母親は、彼女を虐待する際には、なぜか必ず「ちびまるこちゃん」のDVDをテレビで流すようにしていたらしく、それがトラウマとなり、彼女は今でも「ちびまるこちゃん」を見ると発狂してしまうのでした。

 年齢順から言えば、外部職員達の次のターゲットはそんなまるこちゃんでした。
 しかし、奴らは次のターゲットに私を選びました。
 その理由は、既にまるこちゃんは、男性病棟に入院している中川という覚醒剤中毒患者の性奴隷だったからです。
 中川という男は刑務所を仮出所してここに来た患者でした。体中に蛇の刺青を入れた小指のない地元のヤクザでした。
 外部職員がまるこちゃんに手を出さないのは、決して中川自身が怖いからではありません。中川から賄賂を貰っているとか、中川に弱みを握られているというわけでもありません。彼らは、中川が持っている梅毒という性病が怖いからです。
 基本的に、彼らが患者を犯す際には衛生サックなど使用しません。例え肛門であろうと生理であろうと生で犯し、そして平然と中で出します。
 性奴隷にされた患者は、毎晩のように不特定多数の職員達に中出しされ、その後の洗浄なども一切されないまま放置されているのです。
 ですから、当然患者は、常に妊娠や性病のリスクを伴います。実際、殺されたおかっぱちゃんなどは、この病院に来てから二度も妊娠し、そして二度とも外部職員の手で残虐に流産させられていたのでした。
 そんな鬼畜な彼らでしたが、しかし、やはり性病を持っているとわかっている女に手を出すには、さすがの鬼でも気が引けたのでしょう。特に中川が持っている梅毒は、長年打ち続けた覚醒剤のパワーによって毒の威力が強くなっているなどと、そんな真しやかな噂まで流れていましたから、余計彼らはまるこちゃんに手を出さなかったのです。

 そんな理由から、鬼共はまるこちゃんをスルーしました。
 そして、その次に年齢の若い私に矢を向けたのです。
 はっきり申し上げておきますが、決して私の頭は狂ってません。
 医師は私を、両親の残酷なシーンを見た事によって引き起こされた重度の心的外傷後ストレス障害などと診断しますが、しかしそれは違います。
 確かに両親の死で激しいショックを受けて一時は取り乱したものの、しかしそれは単なる一時的なものであり、今ではすっかり立ち直っているのです。
 ですから私はもうここに入院している必要はないのです。
 確かに、私は毎晩廊下を徘徊しながら「ひよこ」を探しています。しかしあれは就寝前に強制的に飲まされる正体不明の薬が原因であり、あれを飲まされると、幼い弟が「僕のひよこを探して」と泣いている幻聴が止まらなくなり、ひよこを探さずにはいられなくなってしまうのです。
 それと、二週間前に、私が集会ホールの花瓶をいきなり床で叩き割り、その割れた破片を飲み込んだ事がありましたが、しかしあれも、実は全て演技です。翌日のマラソン大会に出場したくなかったため、わざと自傷行為をして鎮静房に逃げ込もうと演技していたのです。
 あと、筆箱の中にゴルフボールほどの大便を隠し持っているのも事実です。が、しかし、あれにもそれなりの理由がございます。というのは、あの大便をした時、ふと便器を覗き込むと、そこにキラキラと金粉が舞っていたのです。実は、私の母は新潟の長岡市という所で生まれ育ちました。私も幼少の頃には長岡のおばあちゃんの家によく遊びに行ったものです。そんな長岡市は、あの砂金で有名な佐渡市とは目と鼻の先でした。だから私は、もしかしたらこの金粉と佐渡の砂金は何か凄い関係があるのではないかと直感したのです。だから私は、いずれここを退院した後、この大便を新潟大学へ持ち込んで研究材料にして頂こうと思っております。そんな計画があるため、あの大便を筆箱に保管しているのです。決して私の頭が狂っているからあんな物を持っているのではございません。

 このように、確かにここでの私には数々の奇行事実がございますが、しかしそれには全て理由があったのです。
 ですから私は、一刻も早くここを退院するべきなのです。
 私の脳や精神は至って正常なのですから、これ以上ここにいる必要はなく、あの鬼共の生け贄にされる前に、ここを出なくてはならないのです。

(つづく)

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