淫夢(後編)
2012/12/02 Sun 00:00
ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ……
湿った音が響いていた。
それが雨音に聞こえた私は、(雨かしら?……)と窓を見ようとしたが身体はぴくりとも動いてくれなかった。
金縛り。そんな言葉が頭に浮かんだ。マツ毛の隙間から真っ白な天井がぼんやりと見えた。必死に目を開けようとするが、震える瞼はなかなか言う事を聞いてくれなかった。
しぱらくすると、そのぴちゃぴちゃという音が外から聞こえてくるのではなく室内に響いている事に気づいた。
しかもそれはベッドに横たわる私の足下からだった。
一瞬、大型犬ほどもある大きなカピパラが、ベッドの隅でジッと身を潜めながら何かをむしゃむしゃと食べている姿が浮かんだ。
首筋がゾッとした。爪先を齧られてしまうのではないかと思うと、叫び出したいほどの恐怖に駆られた。
ベッドに横たわる手足を無我夢中で動かそうとした。夫に助けを求めようと必死に叫ぼうとした。
「うぅぅ……うっ……」
弱々しい唸り声が、私のカサカサに乾いた唇から微かに漏れた。
と、その時、突然そのぴちゃぴちゃという音が止まった。そしてすかさず男の野太い声が足下から聞こえて来た。男のその声は、まるで井戸の奥で囁いているかのように、不気味なエコーが効いていた。
「入江さん……もしかしたら、奥さん、目を覚ましたかもしれませんよ……」
男は相当焦った口調でそう言った。
「入江さん」、「奥さん」、「目を覚ました」。そんな言葉が私の頭の中を駆け巡った。
今のこの状況が全くわからなかった。
入江さん、っと夫を呼ぶ中年男はいったい誰なのか?
もしかしたら医者だろうか?
ハルシオンと酒で意識が飛んでしまった私は、また手首を切ったりしてしまったのだろうか?
唇を震わせながらそうあれこれ考えていると、いきなり私の目の前に夫の顔がヌッと現れた。
「あなた!」とそう叫ぼうとするが、しかしアゴがガクガクと震えるだけで全く言葉にはならなかった。
「大丈夫です……きっと何か怖い夢でも見てるんでしょう……」
夫はそう笑いながら、半開きになっている私の目をジッと覗き込んだ。
「妻には非常に強力な薬を服用させてますから、最低でもあと二時間は絶対に目を覚ましません。ま、確かに、痛いとかくすぐったいとか気持ちいいってのは身体が反応しますから、多少は身体が動いたりするかも知れませんけど、でも脳は完全に眠ったままですから絶対に目を覚ます事はありません。心配しないで下さい。ですよね、先生」
そう喋りながら夫の顔が私の視野からフレームアウトして行くと、今度はまた別の男の声が聞こえて来た。
「うん。あの薬を飲んでれば、少なくとも八時間は目を覚ます事はありませんよ。例え目を覚ましたとしても意識はありませんから、ここがどこなのか自分が誰なのかさえわからない状態ですよ」
そう答える男の声は明らかに老人だった。きっと夫が先生と呼んでいた男なのであろうが、しかしその声は私の主治医の竹野先生の声とは似ても似つかなかった。
「本当でしょうね……完全昏睡とかいいながらも、本当は奥さん、目を覚ましてるんじゃないでしょうね……」
私の足下から、また最初の男の声が聞こえて来た。男はいったい何に脅えているのか妙に疑っていた。
私は、その男が言った『完全昏睡』という言葉に異様な恐怖を覚えた。
脅える私の頭に、ふと、『ロボトミー』という言葉が浮かんだ。
それは、暴れたり、自殺未遂を繰り返したりする精神病者を廃人のように大人しくさせてしまうという手術らしく、私がまだ中学生の頃、戦後、日本の精神病院ではそんな野蛮な手術が平然と行われていたのだと父から聞かされた事があった。
私の父は大きな動物病院で院長をしていた。今でも動物園の猿やゴリラにはそのロボトミー手術をしているらしく、だから父はロボトミー手術に関しては詳しかったのだ。
そんなロボトミー手術は、頭蓋骨をドリルで穴を開け、脳の前頭葉を切除してしまうという実に野蛮な手術であり、現在日本では禁止されているという事だった。しかし、実は未だにこっそり続けられているらしいと、あるネットにはそう書いてあった。
私は背筋をゾッとさせた。もしかしたら夫は、あまりにも私が自殺未遂を起こすため、遂に『ロボトミー手術』を決意したのかもしれないと思った。
一度ロボトミー手術を受けると、もう二度と元に戻らないと父は言っていた。どれだけ凶暴なゴリラも、狂ったように騒ぎまくる猿も、その手術を受けたら一瞬にして剥製のように大人しくなってしまい、死ぬまで檻の中でぼんやりしているのだという。
人間も同じだと言っていた。再起不能の廃人となって、一生精神病院の片隅でぼんやり生きて行かなければならないと父は言っていた。
そんな父の言葉を思い出した私は、「やめて!」とそう叫んだ。しかし、それは言葉にはならず、「うううう……」という唸り声だけが虚しく響くだけだった。
すると、そんな私の唸り声に反応した男がまたしても「ほら見ろ!」と叫んだ。
「やっぱり奥さん目を覚ましてるよ、今、なんか喋ったじゃんか!」
すると再び夫が私の顔を覗き込んだ。
「大丈夫ですって。先生が調合する睡眠薬は象だって眠らせちゃうんだから……ほら、こうして頬をつねっても痛がらないでしょ?」
夫はそう笑いながら私の頬をおもいきりつねった。
その瞬間、私の頭の中で何かがプツンっと音を立てて切れた。それが切れた時から、つねられた頬にじわりじわりと痛みが広がって来たのだ。
麻酔が切れた。
そう思った私は必死に叫んだ。
助けて! 助けて! 助けて! 助けて! 助けて! と無我夢中で叫んだ。
が、しかし、それは言葉にはならなかった。感覚だけが戻っただけで状況は何も変わっていなかったのだ。
私は絶望した。神経の感覚だけが戻ったという事は、このまま手術されてしまえば、頭蓋骨をドリルで削られるその痛みも、尖った針金で前頭葉を掻き回される痛みも、全て生身で受け止めなくてはならないという事なのだ。絶体絶命だった。脳を針金で掻き回されるくらいなら、このまま舌を噛み切って死んだ方がましだと思った。
が、しかし、今の私は、舌さえも動かす事ができなかったのだった。
凄まじい恐怖に襲われながら、私は「夢であってほしい」、「夢であって下さい」と必死に祈っていた。
しかし、足下にいる男が私の太ももに手を乗せたその感触は、明らかに現実の感触だった。
「本当に寝てるんでしょうね……もし起きてたら、さっき支払った四万円返してもらいますからね……」
男はそう呟きながら私の両足を静かに持ち上げた。
(四万円?……)
男のその言葉に私の頭は混乱した。
すると夫が「ははははは」と笑いながら、「もし起きてたら四万円どころか十万円の罰金を払いますよ」と言った。
夫のその言葉に、更に私の頭は混乱した。
「ホントかね……」
足下の男はそう言いながら私の股を大きく開くと、そこにさっきのあの「ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ」っという音を響かせたのだった。
男は、明らかに私の陰部を舐めていた。男の生暖かい舌が私の敏感な部分を行ったり来たりしている感触がはっきりと感じられた。
(これはいったいどういう事なの……)
そう思いながら目玉を思い切り下げてみた。男の黒い髪の毛が見えた。陰部を這い回る舌の動きに合わせて、男の頭部がゆっくりと動いているのがはっきりと見えた。
新たなる恐怖が私の背筋をゾッとさせた。なぜこの男は私の性器を舐めているんだと思うと、恥ずかしさと恐怖で思わず失禁しそうになった。
すると、突然男が「あっ」と小さく叫んだ。
ベッドの脇から「どうしました?」という夫の声が聞こえた。
「今、奥さん、ピュって潮拭きましたよ」
股間を舐める男がそう言うと、ベッドの脇から一斉に笑い声が聞こえて来た。
その笑い声は、少なくとも三人、いや四人はいるようだった。
「そうなんだよ。この奥さんはね、すぐにぴゅっぴゅっとやらかしちゃうんだよ……俺達も最初はびっくりしたよ。ぐったりと眠っているのにいきなりビシャーって潮を噴き出すんだもん、あれには参ったよな中野」
それは聞き覚えのある野太い声だった。その声の主を必死に思い出そうとしていると、今度はその中野と呼ばれる男が答えた。
「そりゃあ、松っちゃんのあの巨大なチンポで攻められりゃ、さすがの眠れる森の美女も潮だって噴くさ」
男は『松っちゃん』という名前をはっきり言った。そして、がははははははっと笑っている中野という男のその笑い声も、間違いなくあの夢に出て来た太った男の笑い声だった。
(あれは、夢ではなかったんだ……)
そう思った瞬間、今までの不可解な謎が解けた。
夫が、やたらと私に意味不明な薬を大量に飲ませようとするのも、私がいつも同じ淫夢を見続けていた事も、そして、今、私の性器を舐めている見知らぬ男の事も、全ての謎が理解できた。
夫は、危険な薬で私を昏睡状態にさせ、マニアックな変態達に私の身体を売っていたのだ。いつもそうやって意識のない私の身体を見知らぬ男達に提供していたのだ。
しかし、今日の私いつもと違った。さっき私は夫から与えられた薬の白い錠剤と黄色い錠剤を、たまたま偶然にもトイレに吐き出してしまったのだ。だから今の私は中途半端な昏睡状態でいるのだ。
私がいつも見ていたあの淫夢は、夢でもなく妄想でもなく事実だったのだ。松っちゃんも、太った男も、そして彼らの肉棒の感触も、あのエクスタシーも、昏睡している私の潜在意識の中に全て残っていたのだ。
しかし私は、いくらこの状況が解明できても、それを私にさせていた夫の気持ちは理解できなかった。わざわざ妻を昏睡状態にさせ、それを他人に抱かせて金を取るという夫のその考えがどうしても理解できなかった。
あれだけ優しい夫がなぜこんな事をするのか。特にお金に困っているわけでもないのに、たかだか四万円ごときでどうしてこんなことをするのだろうか。
そう考えていると、ふと、さっき読んだあの卑猥な成人雑誌『他人妻通信』を思い出した。夫のクローゼットの引き出しの中には、あの奇妙な雑誌が少なくとも五冊は隠してあったのだ。
(そうか……きっとそうだ……)
私は闇の中で深く頷いた。夫には、きっと他人に私を抱かせたいという願望があったのだ。しかし、それを私が素直に承諾するわけがなく、だから夫は危険な薬を使ってまでもそれを密かに実行していたのだ……。
私は、真っ白な天井をぼんやりと見つめたまま、激しい虚しさに苛まれていた。
夫のその悲しい性癖にも虚しさを感じていたが、しかしそれよりも、あの淫夢に心を乱していた自分に対して激しい虚しさを感じていた。
身動きできない私は、ただひたすら他人男にペロペロと舐められる感触だけを受け止めているだけだった。言葉も涙も出ず、そして舌を噛み切る事もできなかった。
すると、男の舌が私のクリトリスへと伸びて来た。陰毛をジリジリと音立てながら蠢く舌は、確実にクリトリスを捕らえていた。私は、その意志に反した快楽を撥ね除けようと必死に堪えていたが、しかし、手も足も出ないアザラシの如く、全てに身を委ねるしかなかった。
「奥さん、凄く濡れてきましたよ……」
だらしなく口を開いていたワレメに、ハァハァと熱い息を吐きかけながら男がそう言った。
すると夫が「じゃあ、そろそろ始めますか」と、まるで仕事でも始めるかのような口調でそう言ったのだった。
松っちゃんがぐったりしている私の両腕を抱えた。そして太った男が私の両足を掴み、私の身体は床に下ろされた。
私は床に敷いた布団の上に寝転ばされた。恐らく、ベッドで複数プレイをするのは困難なため、彼らは私を布団に寝かせたのだろう。
そう思っていると、半開きしている私の目に全裸の男達の姿が映った。
陰部を舐めていた男が横たわる私の顔を覗き込んだ。
未だ信じられない口調で「本当に昏睡してるのかぁ……」と言いながら私の口を指でこじ開け、ウィンナーソーセージのように太い指で私の口内を掻き回してはそれを確かめようとしていた。
「大丈夫だって。あの先生が調合する睡眠薬に間違いはないって」
そう笑いながら私の両足をM字に開いた松っちゃんは、私をひっくり返ったカエルのような恥ずかしい体勢にすると、既にドロドロに濡れている穴に大きな亀頭をヌルヌルと擦り付けて来た。
すると、ヴィィィィィィィィィィっと震える緑色のローターを手にした太った男が、私の右側にソッと寄り添った。
「松っちゃんのその巨大チンポとこれをコラボさせるのだ」
太った男は、嬉しそうにそう目を細めると、ぐにゅぐにゅと入ろうとしている松っちゃんのペニスの上に緑色のローターを添えた。そして松っちゃんのベニスがヌルっと突入して来ると同時に、私のクリトリスにローターの先を押し付けたのだった。
今までにない快楽に私の脳は蕩けていた。身体は全く動かず、声も全く出なかったが、しかしその快楽だけは激しく私の脳を刺激していた。
三本の肉棒と六本の腕が、身動きしない私の身体に伸びていた。合計三十本の指が私の敏感な部分を弄り回し、私は深い暗闇の中で激しく喘いでいた。
もはや、それが誰の手で、それが誰のペニスかなどわからなくなっていた。
ふと、この状態は、夫がクローゼットに隠し持っている『他人妻通信』に載っていた、あのアイマスクされた人妻と同じだと思った。
あの人妻は、相手が誰なのかもわからないまま快楽の渦の中に巻き込まれていた。まさか、自分を犯しているのが実の兄と実の弟だとは夢にも思っていないだろう。
そんな事を考えながら快楽に溺れていると、ベッドで私のアソコを舐めていた男が、私の口の中にペニスを出し入れしながらポツリと呟いた。
「でも、なんか怪しいなぁ……やっぱりこの人、起きてますよ。だって、この人の目、さっきからジロジロと俺の事を見てますもん……」
すると松っちゃんがハァァァっと呆れた溜め息をつきながら笑った。
「……あんたも疑い深い人だな、この先生が調合する睡眠薬は、動物園の猿でもゴリラでもイチコロで眠らせてしまうんだぜ……そんな薬を飲んでても起きてるなんて、それはもう人間じゃねぇ、妖怪だよ」
松っちゃんがそう言うと、私の乳首にむしゃぶりついていた太った男が「そりゃそうだ」と笑い出した。
それに釣られて夫もそして先生と呼ばれる老人も、皆が一斉に笑い出した。
そんな笑い声が響く中、私は、その松っちゃんの言葉に戦慄を覚えた。
(動物園の猿でもゴリラでもイチコロで……)
そんな松っちゃんの言葉を何度も何度も繰り返しながら、あの何も知らずに兄や弟に犯されているアイマスクをされた人妻の悲惨な状況を思い出した。
(まさか、先生と呼ばれているこの老人は……)
そう思うと、私は半開きになっている瞳を必死に閉じようとした。
なんとしてもその現実だけは見たくないと、死に物狂いで瞼に力を入れた。
しかし、無情にも私の瞼は動いてくれなかった。
「……あぁぁ、そろそろ出そうだよ……」
松っちゃんが私の両足を肩に担ぎながらそう唸った。
すると、すぐ頭上から「じゃあ、そろそろ我々も準備しましょうか」という夫の声が聞こえて来た。
夫が服を脱ぎ始めた。
先生と呼ばれる老人もそそくさと服を脱ぎ始めた。
この淫夢だけは絶対に見たくない。
私は絶望に駆られた。
全裸になった夫と老人が私の枕元に腰を下ろした。
「ああああ、イクよ!」
私の口にペニスを出し入れしていた男が叫んだ。
私は口内に飛び散る精液を無我夢中で喉に流し込んだ。
しかし、濃厚な精液は喉に引っかかり、私はグボグボと激しく咳き込んだ。
そんな私が激く咳き込む中、夫の声が微かに聞こえた。
「今日はお義父さんからどうぞ」
その淫夢だけは絶対に見たくなかった。
(淫夢・完)
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