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毒林檎2

2013/05/30 Thu 17:59

毒林檎2



 店員に「連れがいるから」と告げながらそのテーブルに向かっていくと、原田凉子が座ったまま会釈し、隣の女が上目遣いでソッと俺を見た。
 今にも消え入りそうな弱々しい表情をした女だった。
 全体的に貪よりとした暗さと淋しさが漂い、常に何かに脅えているような病的な不気味さに包まれた女だったが、しかし、整った細い眉と大きな目、ツンっと尖った鼻と肉厚のあるふくよかな唇、そして片手で鷲掴みできるほどのその小さな顔を総合すると、彼女は原田凉子に劣らぬ美人だった。

 俺は、そんな女をジッと見据えながら「こんにちは」と唇を綻ばせると、そのまま静かに席に着いた。
 女はそんな俺から慌てて目を反らした。そしてテーブルの隅に置いてある『朝食セットは終了しました』の手書きのカードを横目で見つめながら、無言で深々と頭を下げた。
 すかさず原田凉子が、「お忙しい所、わざわざ出張して頂きましてありがとうございます」と台本通りの台詞を吐いた。
 俺は「いえいえ」と恐縮しながらも、台本通りにスーツの内ポケットから名刺を取り出し、改めて女の目を覗き込みながら、「石橋です」とそれをガラステーブルの上に滑らせた。
 女は大きな瞳を二度パチパチさせながらその名刺を見た。そして蚊の泣くような声で「下川です……」と呟くと、再び『朝食セットは終了しました』のカードに視線を戻したのだった。

 さっきの店員が、オレンジ色のエプロンの胸にシルバーの盆を押し付けながらやって来た。俺は台本通りアイスコーヒーを注文した。店員は「かしこまりました」と小さく頷きながら伝票をサッと取り、そのまま足音もなく消えた。
 店員が去って五秒ほどの沈黙の後、さっそく原田凉子が本題を切り出した。

「下川さんの症状は、先日FAXで御説明させて頂いた通りです。ただ、今朝からまた例の幻聴が酷くなって来たようでして、今もそれが続いている状態です」

 さすが弁護士だけあって原田凉子の舌の滑りは軽やかだった。これが全て茶番劇だと知っている二人を目の前にして、これほど流暢に嘘をつけるのは弁護士か詐欺師くらいであろう。
 俺はわざとらしくテーブルの上に両肘を付くと、女の顔を真正面から覗き込み、小動物を眺めるような優しい目で見つめながら、「今、何が聞こえますか?」と、静かに語りかけた。

「今は……遠くの方で機関車の音が響いてます……」

 女は恥ずかしそうにそう答えた。恐らくこの台詞も原田凉子が考えたのだろうと思うと、そのあまりのバカバカしさに俺も少し恥ずかしくなった。
 俺はその幼稚なシナリオを無視するかのように素早く話題を変えた。

「確か今年三十四歳でしたよね……御家族の方はあなたのその症状を御存知なんですか?」

 その台本にない質問に、一瞬原田凉子が眉を顰めた。女も戸惑い、横目でソッと原田凉子を見た。
 どうやら女の個人情報について尋ねるのはNGのようだった。
 しかし、それを聞く権利は、少なからずも俺にはあった。なんてったって俺は今からこの女に抱かれるのだ。もう暫くすれば、この女の粘膜と俺の粘膜とが擦り合い、互いに溢れ出た分泌物でヌルヌルになるのである。それは、握手したりハグしたりするレベルとは違うのだ。
 だから俺は、「失礼ですが、お子様は?」と、更にそこに突っ込んでやった。
 ひと呼吸置いて「子供はおりません……」と答えた女のその横で、原田凉子はまるで不機嫌な映画監督のような面をしていた。

「旦那さんは、あなたのその異常な症状についてどう考えておられますか?」

 俺は、敢えて『異常』という言葉を強調してやった。

「……主人は……」

 そう言葉を詰まらせた女は、再び『朝食セットは終了しました』のカードを見つめた。
 そんな女の目玉は小刻みに震えていた。眼球振盪する女の目をジッと見つめる俺は、小さな興奮を感じていた。
 因みに俺の性癖は、SかMかの二者択一の場合なら明らかにSだった。だから俺は、女をジッと見つめながら(見知らぬ男を昏睡させてレイプしたいなんて、当然旦那には言えないわな……)と細く微笑み、今から始まろうとしているこの背徳行為に異様な興奮と期待を感じ、背筋をゾクっとさせた。

 そうしているうちに早くもアイスコーヒーが運ばれて来た。
 俺はもう少しこの女を追いつめてやりたかったが、しかし原田凉子があまりにも恐ろしい目で俺を睨んでいるため、ここで解任されては元も子もないと思い、仕方なく彼女の台本に従う事にした。

 アイスコーヒーの中にミルクだけを入れた俺は、ストローでグラスの中にカラコロと音立てながら言った。

「機関車とか機械の音が聞こえると言うのはですね、俗に幼少時代に取り憑いた霊が何かを訴えようとしていると言われているんです……」

 台本通りのその台詞に、原田凉子の眉間からやっと皺が消えた。
 俺は彼女の弛んだ眉間を確認すると、アイスコーヒーを一口飲みながら、「子供の頃、車にひかれて道路で死んでいる猫とか見た事ありませんでしたか?」と聞いた。
 すると女は、やはりそれも原田凉子が作った台詞なのであろう、「自宅の裏が国道でしたので、猫の死骸を何度か見た事があります」と棒読みに即答した。

「ああ、やっぱりね……きっとその時の猫の霊が取り憑いたままなんでしょうね……」

 そう言いながら二口目のコーヒーを飲もうとすると、すかさず原田凉子が俺に目配せした。
 それは例の合図だった。
 俺は、このタイミングでトイレに行くのはあまりにも不自然だろと思ったが、しかし監督に逆らうわけにはいかなかった。
 俺は唇に挟んだストローをソッと離すと、「失礼……ちょっとお手洗いに……」と、ぎこちなく言いながら席を立つと、この完璧主義者のヤリ手女弁護士の台本に素直に従ったのだった。

 店内にトイレはなかった。一度店を出て、エレベーターの横にあるホテルの公衆トイレまで行かなければならなかった。
 古臭い絨毯の通路を歩きながら、吹き抜けのロビーを見下ろした。
 すぐ真下の応接セットでは、先ほどの暴力団達が何やら大声で怒鳴り合っていた。「この話しを本家に持ってかれて困るんはおどれらのほうじゃろ!」と、ロビーに響き渡るその口調からして、どうやら窓際の席に座っているグループは西側の人達のようだった。
 そんな殺伐とした雰囲気の中でも、くたびれたデリヘル嬢は我関せずでスマホを弄り、小さな売店に群がる中国人観光客達は必死に万引きをし、農協のおっさん達は今から吉原に繰り出そうと騒いでいた。
 そんな野蛮な人々を見下ろしながら歩いていた俺は、もしここで巨大な首都直下型地震が来たら、この人達と一緒に避難所で暮らさなければならないのかと思い、不意に暗い気分に包まれた。

 しかし、トイレに入るとそんな気分も和らいだ。
 小便器の前に立ち、捻り出した真っ黒なペニスをクニュっと摘むと、急速にあの人妻の顔が鮮明に蘇り、果たして彼女はコレをどうやって弄ぶのだろうかと妄想が膨らんだ。
 寝ている男にしか興奮しない変態女。
 眠っている他人男を好き放題に犯す淫乱人妻。
 そんな妄想を膨らませていると、みるみると硬くなっていくペニスとは逆に、頬の肉はみるみると弛んでいった。
 ニヤニヤしながら小便器の中を覗いていると、ふと「大きいですね」という声が聞こえて来た。
 慌てて振り向くと、いつの間にかすぐ隣の便器に男が立っていた。
 濃紺のスーツを着たその男は、どこにでもいるサラリーマンといった感じの三十代の男だった。
 男は俺の勃起したペニスを覗き込みながら、自身も勃起していた。

「溜まってるんですか?」

 男はそう言いながら、小便器の中で自身のペニスをシゴき始めた。そして半開きの目で俺を見つめながら、「口で抜いてあげますよ」と背後の個室を指差した。
 一瞬、その男の唇が、俺の亀頭をねっとりと咥える感触が頭を過り、狭い個室の便器に座っている俺の股間に顔を埋めては、ウゴウゴと頭部を動かしているシーンがリアルに浮かんで来た。

「個室に入りませんか」

 そう真面目に呟く男の顔は、記者会見で号泣していた野々村議員によく似ていた。
 俺はそんな男をキッと睨みつけながら、素早くペニスをズボンの中に押し込み、「結構だ」と捨て台詞を残してそそくさとトイレを後にした。今からとびっきりの美人妻と変態行為をするというのに、あんな号泣野郎にヌかれて堪るか。

 廊下に出ると、一階のロビーから、何やら女の怒鳴り声が聞こえてきた。
 ふと下を見ると、四十歳前後の痩せた中年女が、フロントのカウンターに向かってペットボトルを突きつけていた。
 怒鳴る女の話の内容からして、どうやら女は、そのペットボトルの中身が小便だったと怒り狂っているようだった。
「飲んでしまったじゃないですか! どう責任を取ってくれるんですか!」と、凄い剣幕で若いフロントマンに詰め寄っている。
 それを見て、今まで怒鳴り合いをしていた暴力団達が仲良くゲラゲラと笑い始めた。売店に群がっていた中国人の集団はフロアの真ん中でコンビニ弁当を食べ始め、くたびれたデリヘル嬢は大鼾をかいて寝ていた。
 そんな下級な人々を、まるでサファリーパークのバスの中から見るような気分で見下ろしていると、不意に背後から「飲んであげますよ」と言われた。
 振り返ると、またあの泣き虫議員がいた。
 俺は、このホテルは滅茶苦茶だ……と思いながら、ニヤニヤと笑っている泣き虫議員を突き飛ばした。そして、こんな東京で本当にオリンピックかできるのか舛添、と呟きながら、スタスタと喫茶店に向かったのだった。

 喫茶店に戻ると、原田凉子と人妻が神妙な面持ちで俺を待っていた。
 既にアイスコーヒーにラムネの粉末は入れられているらしく、原田凉子は早く飲めとばかりに俺に視線を送っていた。
「失礼しました……」と微笑みながら席に着いた俺は、もしこここで新しいアイスコーヒーを注文し直したら、さぞかしこの女弁護士は怒るだろうなと思い、少し笑いそうになった。

 原田凉子は、金文字で『弁護士業務便覧』と書かれた黒い手帳をパラパラと捲りながら「さっそくですが石橋先生、これから彼女のお祓いをしてほしいんですが、お時間の方はいかがでしょうか」と早口で言って来た。それは明らかに、早くアイスコーヒーを飲めと急かしている口調だった。
 俺は「今からですか……」とわざとらしく考え込みながらも、真っ黒な水の中からスッと伸びている白いストローの先を唇に挟んだ。
 瞬間、『朝食セットは終了しました』のカードを見ていた女の視線が俺の口元を捕らえた。視野の隅に映る女からは、まるで、初めてスーパーで万引きしようとしている主婦のような気配が漂って来た。
 そんな女の緊迫した気配を感じながら、俺は白いストローを黒い液体色に染めた。
 ストローを咥えたままゴクリと一口飲むと、そのまま一気にズルズルズルと音が鳴るまで飲み干してやった。
 そして、これでよろしかったでしょうか先生、と言わんばかりに原田凉子をソッと見ると、原田凉子は手帳をパラパラと捲りながら小さくコクリと頷いたのだった。

 俺は、わざとらしく腕時計を見ながら「この後、千駄木の信者さんの所に行く予定が入ってるんですよね……」と呟いた。

「そこをなんとかして頂けないでしょうか……実は、もうここのホテルのお部屋を取ってしまっているんですよね……ですから、なんとか御都合を付けて頂けると有り難いのですが……それに彼女、もう夜も眠れないくらいに苦しんでいるんです……」

 原田凉子は、悲痛な表情を浮かべながら、そう俺の顔を覗き込んで来た。
 実にわざとらしい演技だった。その表情もその仕草も、そして声のトーンさえも、昭和のTBSのドラマのように臭すぎた。
 しかし、いつもこんな臭い演技を法廷でしているからだろうか、彼女は堂々とその臭い演技をやってのけた。
 さすがは弁護士だなと感心しながらも、俺も彼女に負けないほどのオーバーリアクションで、「あらららら……もう部屋を取っちゃってるんですか……」と、大袈裟に頭をガリガリと掻いてやった。

「そうなんです。ですから、何とかこれからお願いできないかと……」

 原田凉子は、大きな黒目でジッと俺を見つめながら言った。
 彼女のその瞳を、以前会社の誰かが『氷りの目』と呼んでいた。あの目にジッと見つめられると、そのあまりの美しさに全身が凍ったように固まってしまうと噂されていた。
 確かに原田凉子の瞳は美しかった。見つめられるだけで勃起してしまいそうだった。
 俺はそんな原田凉子の冷たい瞳にゾクゾクしながら、「わかりました。そーいう事ならしょうがないでしょう。千駄木の信者さんには明日にしてもらいましょう」と、台本通りの台詞を言った。
 すると、そこで初めて原田凉子は笑顔を見せた。
 隣で項垂れている人妻を覗き込み、「よかったですね」と微笑む原田凉子だったが、しかしその目は決して笑っておらず、やはりシベリアンハスキーのように冷たかったのだった。

 これでひとまず第一ステージはクリアだった。
 最初は、うまく演技できるだろうかと心配だったが、実際にやってみると、以外と簡単に霊媒師になりきれるものだった。
 しかし、問題はこれからだった。
 この後俺は、睡眠薬で昏睡したふりをし、そして眠ったふりをしたままこの綺麗な人妻に犯されなければならないのだ。

 果たしてこの俺に、そんな演技ができるだろうか……
 こんな綺麗な人妻に弄ばれ、それでも俺は寝たふりを続けられるだろうか……

 そんな不安を抱きながらソッと席を立つと、ゆっくりと立ち上がろうとしている人妻の胸元が不意にチラッと見えた。
 その真っ白な清楚な胸元には、実は病的な淫乱性が隠れているのだと思うと、たちまち俺の自信は揺らいだ。

 どう考えても、寝たふりなんて我慢できるわけないだろ……。

毒りんご2

(つづく)

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