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蠢女6(手の平に太陽を)

2012/12/02 Sun 00:01

6蠢女



 一般の総合病院は、精神病院とは違い全体的に明るい雰囲気が漂っていました。
 同じ病院でもここが明るく感じるのは、やはり看護師さんの質が違っていたからだと思います。精神科にも看護師はいましたが、しかしほとんどが乱暴な男性かヒステリックな中年女で、いつも彼らは何かにイライラしておりました。
 それに比べて、ここには若い看護師が沢山いました。特に私が収容されたのは外科病棟だったためか、ここは、看護師だけでなく患者たちさえもどこか楽観的で明るく、内科病棟独特のあの貪よりした暗さは全く感じる事はありませんでした。

 午後三時。看護師さんの交代が近づくと、私を担当しているポニーテールの看護師さんが病室を覗いてくれました。

「どうですかぁ」

 彼女はいつもそう微笑みながら病室に入ってきます。彼女が部屋に入って来ると、白一色の病室にパッと花が咲いたように明るくなりました。

「はい。おかげさまで調子はいいです」

 私がそう微笑み返すと、彼女は「よかった」と、ニコッと笑いながら私の頭の包帯を交換し始めたのでした。

「なにか……思い出しましたかぁ……」

 新しいガーゼにテープを貼る彼女は、私の顔を間近で覗き込みながらさりげなく聞いてきました。
 そんな彼女の生暖かい息が私の首筋を優しく通り抜け、ふと私は、きっとこの看護師さんは、毎晩のように男に愛されていると直感しました。

「ダメです……全く何も思い出せません……」

 私は彼女のセックスを想像しながら小さく首を振りました。この清潔で明るい女が、国道沿いの薄汚いラブホの一室で、不潔な男と交わりながら淫らな声を張り上げている姿がリアルに頭に浮かびました。

「ううん。全然ダメじゃないよ。大丈夫。そのうちきっと思い出すから。のんびりゆっくり一緒に思い出そ、ね」

 薄いピンクのリップクリームをテラテラさせる彼女は、その大きな目を逆さまの餃子のように歪ませながら、柔らかく微笑みました。

 何を思い出せばいいのでしょう。この人は、私と一緒にいったい何を思い出そうというのでしょう。
 もし本当に、今まで私がもがき苦しんで来たあの地獄を語り聞かせたら、それでもこの純粋無垢な娘さんは、「全然ダメじゃない」と、私に柔らかく微笑んでくれるでしょうか。



 あの日、見知らぬ百姓に強姦された私は、彼の死を見届けると、そのまま道路を歩き出しました。
 道路には亀裂が走り、所々で小さな土砂崩れが起きていました。そんな道路を、私は自暴自棄になりながら歩いていたのです。
 集落の住人に見つかれば間違いなく身柄を確保されるでしょう。住宅街に迷い込んだ野生の猿が、濁り目の役人達に追い回されてはあの大きな網で捕らえられるように、私も住人達に捕まっては無惨に棍棒で叩きのめされながらのたうち回るのでしょう。

 そんな覚悟をしながら朝日の眩しい道路をひたすら歩いておりますと、突然後方から深緑色した巨大なトラックが聞き慣れないサイレンを鳴らしながらやってきました。
 道路の脇で立ちすくむ私の前で止まったトラックのドアには、『災害派遣』という黄色いプレートが貼ってあり、その深緑色の幌には、白い字で『陸上自衛隊』と書いてありました。
 助手席から顔を出したヘルメットの男は、「大丈夫ですか!」と叫びながらも、私のその姿を見てギョッと目を見開いていました。
 私は全裸でした。下半身は田んぼの泥だらけで、それが乾いて真っ白になっておりました。上半身にはどす黒い返り血を浴び、そして額と股間からはタラタラと血を垂らしているのです。
 しかし、さすがは自衛隊です。一瞬はそんな私を見て驚いていたものの、すぐに私を手厚く保護してくれたのでした。
 しばらく行くと、小さな駅が見えてきました。私のように無惨な姿をした人々が救いを求めて彷徨い歩いていました。私がこんな格好でふらふらと徘徊していても怪しまれなかったのは、大地震のおかげだったのです。
 私は毛布に包まりながら、そんな人々の姿を荷台の幌の隙間から見ていたのでした。

 そのまま私は、被災者達と一緒に近くの総合病院に連れて行かれる事になりました。
 病院などに連れて行かれれば一巻の終わりでした。私はお金も保険証も何も持っていませんし、身内もいないのです。
 身元を問われれば終わりでした。例えその場の嘘をついたとしても、保護された場所が場所ですから調べられたらアウトです。山の上の精神病院から脱走した事などすぐにばれてしまうのです。

 そう脅えながら荷台に揺られておりますと、遂に大きな総合病院に到着しました。
 病院には入口にまで怪我人が溢れかえっておりました。
 ヘルメットを被った自衛隊員に荷台から下ろされると、白衣を着た医師が患者一人一人の症状を見て、素早く看護師達に指示を出しておりました。
 私のこめかみの穴を見た医師は「どうしたの?」と聞きました。
 私は咄嗟に「鉄の棒が飛んで来て頭に突き刺さりました」と嘘をつきました。
 医師はその穴をペンライトで覗き込みながら「血は止まってるようですね」とポツリと呟くと、そこにいた看護師に「Dへ案内して」と指示を出したのでした。
 そのまま私は、『被災D』と張り紙がされた廊下に連れて行かれました。ムシロを敷いた廊下では、子供も大人も老人もみんな悲痛な声を出して泣いておりました。
 私は、その大勢の被災者達にそっと混じりながら毛布に踞りました。そして逃げるチャンスを伺っていたのでした。

 しばらくすると、そこに一人の若い看護士がやってきました。ポニーテールのその看護師は、泣き喚いている被災者達が並ぶ廊下で、いきなり大きな声で歌を歌い始めました。
 それは、『ぼーくらはみんな生きている』という歌い出しの『手の平に太陽を』という童謡でした。
 看護師は、まるでNHKの歌のお姉さんのような笑顔で、被災者一人一人に笑いかけながらそれを歌い続けました。
 最初は、そんな看護師に戸惑っていた被災者達でしたが、しかし一人の子供が一緒に歌い出すと、そのうちみんなも一斉に歌い出しました。看護師のその歌声は、被災者達の痛みや苦しみや悲しみを、一時的にも和らげてくれたのでした。

 二時間ほどして、やっと私の診察が回ってきました。
 その医師は、いかにも近隣の県から応援でやって来たとわかる、若い研修医でした。
 医師は私の額の穴を覗き込みながら、「その時の状況を詳しく教えて下さい」と言いました。

「地震と同時に鉄パイプのようなものが飛んで来て……気が付くとそれが頭に突き刺さっていました……どれだけ思い出そうとしても、それしかわからないんです……記憶が全く消えているんです! 自分が誰なのかもわからないんです!」

 必死の演技でそう叫ぶと、私の後ろに立っていた看護師が「大丈夫ですよ。地震はもう来ませんよ。落ち着いて下さいね」と優しく囁き、そっと私の背中を抱きしめてくれました。
 その看護師は、やはり例のポニーテールの看護師だったのでした。

 担当した医師が、熟練した地元の医師でなかった事が幸いしました。私が発見された場所が、悪名高い精神病院のすぐ真下である事を、彼は知らなかったのです。
 それに、これだけの傷を負いながらもどうして私が痛がらないのかという点も、この若い研修医は、地震の恐怖で神経が高ぶっているため痛みを感じない、と、私の都合の良いように解釈してくれたのでした。
 もちろん、私のデタラメな記憶喪失も、全く疑う事なく信用してくれました。いや、むしろ、これだけの大惨事ではそれが当然だと言わんばかりに同情までしてくれる始末でした。

 それらの事が幸いし、私は、身元不明のまま緊急手術をして貰える事になりました。手術は、取りあえず頭蓋骨の穴を埋めるという簡易的なものであり、ものの三十分も掛かりませんでした。
 脳の検査は、この騒動が治まり次第すぐに行うという事となり、私は、しばらくの間この病院で保護される事になったのでした。



「ここに来て今日で二日目になるけど、御家族の方はさぞかし心配してるでしょうね……」

 そう呟きながら、ポニーテールの看護師は窓際に置いてあった花瓶の花を交換していました。
 私は、そんな看護師の細い背中を見つめながら「検査はいつ頃になりそうでしょうか……」と聞きました。

「多分、明日には検査があると思うわよ。全国から応援医師が来てくれたおかげで、もう大分落ち着いて来てるから……」

 そう言いながらソッと振り返った看護師は、「早く記憶が戻るといいね。そして一日も早くお父さんやお母さんと会えるといいね」と柔らかい笑顔を浮かべました。
 そんな彼女が手にしていた花は、パッと丸く開いた真っ赤なガーベラでした。

 お父さんやお母さんにはもう会えません。私のお父さんとお母さんは、二年前、自宅のガレージで首をくくり、糞尿を垂れ流しながら死んでしまったのです。
 心配ご無用です、記憶ははっきりございます。
 加賀谷の性器を切り取ったあの感触も、目玉を引き抜いてやった時のあの男の悲鳴も、今でもはっきりと覚えております。
 そう、今、あなたが持っているそのガーベラの花のようでしたよ。あの、鼻をドリルで削られた男の傷口は、そのガーベラの花のように真っ赤で美しかった……

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 その夜、私は病院を脱走しました。
 私は頭蓋骨に穴を開けられ、長いハサミで前頭葉を掻き回されているのです。脳の検査をされれば、それが鉄パイプが刺さった怪我ではない事が一発でバレてしまうからです。
 だから私は病院を脱走せざる得なかったのでした。

 ライフラインが完全に復興していない為、深夜の町は、貪よりとした闇に包まれていました。
 行く宛もない私は、そんな闇に紛れながら大通りをひたすら歩きました。
 服も靴も帽子も、全て支援物資の中から頂いたものでした。所持金はゼロでした。所持品もありません。

 倒壊したビルや家屋が闇に浮かんでいました。それはまるで巨大な怪物のようであり、余震が起きる度にグワグワと不気味な声で泣きながら蠢いておりました。
 そんな闇の中に、ドラム缶の焚き火が煌煌と輝いているのが見えました。
 ボランティアの人たちでした。彼らは、二十四時間態勢でこの破壊された町の治安と被災した人々を守ってくれているのです。

 そこの前を通り過ぎようとすると、ボランティアの人たちが「大丈夫ですか」と声を掛けてきました。病院でもそうでしたが、今やこの町では、「大丈夫ですか」というのが共通の言葉となっているようです。
 そう、優しく声を掛けられた私の顔が、一瞬、キュッと強張りました。
 私は殺人犯なのです。精神病院から脱走した凶悪犯人なのです。
 しかし、そんな事を知らないボランティアの人たちは、そんな私に湯気の立つみそ汁を差し出しては、「休んで行きませんか」と言ってくれました。
 発泡スチロールの椀に注がれたみそ汁を両手で受け取った瞬間、突然涙が溢れてきました。その何ともいえない温かさが、まるでお母さんの笑顔のように私の荒んだ心を優しく包み込んでくれたのです。
 ボランティアの青年たちが、そんな私に「大丈夫よ」と声を掛けてくれました。そこにいた全員が、満面の笑顔で私を見ながら、「大丈夫よ」、「大丈夫よ」、と励ましてくれたのです。
 しかし、いったい何が大丈夫のでしょうか。事情を何も知らない彼らが、どうして大丈夫と言いきれるのでしょうか。
 私は精神病院の職員の性器を切り取り、目玉をくり抜いて殺した猟奇殺人犯です。そんな私に、いったい何が大丈夫だと言うのでしょうか。
 私は、何も知らない彼らのその優しさに、胸を引き裂かれる思いがしました。
 こんな素晴らしい人たちを騙してはいけない。そう思う私は、いつまでもその温かいみそ汁に口をつける事ができないまま、その場に踞ってしまったのでした。

 しばらくすると、やっとみそ汁を飲み始めた私に安心したのか、背の高い青年が話しかけてきました。

「もし、よろしかったら避難所までお送りしますよ」

 青年は、シマウマのような優しい目で私を見つめながらそう言いました。

「いえ……」と首を振ると、もう一人の青年が「どこに行くつもりだったんですか?」と聞いてきました。
 私は思わず「東京です」と言ってしまいました。天涯孤独な殺人犯には行く宛などないのに、思わずそんな嘘をついてしまいました。
 すかさず、最初の青年が「どうやって東京まで行くつもりですか?」と、そのシマウマのような目を丸めました。
 私は言葉に詰まりながらも、「どうやったら東京に行けるんでしょう……妹が東京で待っているんです……」と、咄嗟に嘘をつきました。
 すると、また別の青年がそこに現れ、私に大量のおにぎりを渡しながら言いました。

「さっき、あそこの自衛隊が東京に帰るって行ってましたよ。なんならそこに頼んでみたらどうです?」

 青年が、白いテントの奥に止まっていた深緑色のジープを指差しながらそう言うと、周りにいた青年達が「それがいい」と一斉に言い出しました。
 シマウマの目をした青年が「うん」と頷きながら立ち上がりました。そして、「僕が話をつけて来るよ」とみんなに言うと、そのまま自衛隊のジープに向かって歩き出したのでした。

(つづく)

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